「いい店」の評価は……

我が家の、比較的お気に入りのお店に「プチモンド・カフェ」(←食べログのリンクはここ)というお店がある。なんだろな、イタリアンでもないし、カフェというには食事がメインだし、まぁ「洋食屋」なんだろう。ここ、ちょっと面白い場所にある。老人保健施設(高齢者向けの住宅施設)の中にあるのであります。

ここ、なかなか面白いものを出してくれる。季節のオーブンハンバーグとか、かにクリームコロッケといった洋食屋風のものが中心だけど、デザートはかなり凝っていて、塩アイスだの、おからドーナッツだの、カッサータだの、クレメダンジェだの、なかなかいいセンスをしているんだな。しかも、いずれもなかなかにいける。

ところが、どうも世間的には今ひとつのようなのだ。その理由は、おそらくは「老人向けの施設の中にあるから」のようらしい。「そんなとこで食べたくない」という人は、意外に多いのだろう。これが、カチンときた。何が悪い? 別に店の中が消毒液くさいわけでもなし、店内を徘徊老人がうろうろするわけでもなし、店に入ればなかなかいい感じの、かつ味もちゃんとした店じゃないか。何が不満だ?と思ってしまうわけですね。で、割とあちこちで「おいしいよ、いってみなよ」と宣伝してきたのでした。

それが先日。久しぶりに家族で出かけてみたのだけど、どうも雰囲気が違う。しばらくいて、気づいた。店の人が違うんだ。やや年配なおばちゃんと、少し若い女性がやっていたのだけど、これがどうみても接客には向かない人間。とくにおばちゃんのほうは、メニューを出すと「はい、どれにしますか? 早く選んで。どれなの?」みたいなオーラを発散するし、何をするのも段取りが悪い。会計のときには、自分で金額を打ちながら「えっ!?」とか「え、100円って何?」とか叫んだりして、(そういうのは、たとえ間違ってもお客に見せちゃ駄目だろ)とか夫婦して心の中で突っ込むのだった。

あれほどすてきなひと時を提供してくれていたプチモンド・カフェは、その日、見る見るその姿が色あせてしまったのだった。そしてそのとき、つくづくと思ったのだ。「いい店」かどうかを決めるのは、「味」じゃないのだな、と。

そう。素敵な店、何度でも足を運びたくなる店、それは「すばらしい料理人」がいる店ではなく、「すばらしいフロアがいる店」だったんだ。市原に引っ越して数年。あちこちに出かけ、お気に入りの店も何軒かできた。レストラン「アンティーク」、蕎麦屋「又十」に「田(でん)」、焼肉の「登斗」。いずれも味はもちろん、実にいい人たちのいる店だった。別に愛想がいいという意味ではなくて、なんていうか「この人のいるお店なら心からくつろげる」という感じなのだね。

味は、もちろん重要だ。だけどそれは「100点」でなくても、実はかまわない。80点の味があれば、それで十分。後は「いい人たち」がそこにいるかどうか、なのだ。


何年か前になるが、この市原には「タベルネッタ・オスティア」というすばらしいイタリアンの店があった。そこは、味なら「99点」だった。が、なぜだかこの店にはお客があまり寄ってこなくて、そしてあるとき店を閉じ、市原を去ってしまった。

そのときは、少しはずれの場所にある立地などが原因なのだろうと思っていたのだが、その跡地に新たにできたレストラン・アンティークはなかなかがんばっているし、その目と鼻の先にできたフレンチ「ベルクール」は、今や市原を代表するレストランとなっている。立地じゃなかったんだ。そう、それは「フロア」だったんだろうと思う。オスティアのフロア(店主の奥様)は、正直、くつろげる人ではなかった。いつも行くたびに「フロアにいい人を入れればきっと流行るのに」と思っていた。

最後は、人間。味じゃない。魅力的な人間に会えるかどうか、そういうことなんだな。いや、もちろんそれに当てはまらないところもたくさんあるよ。ファミレスは「いらっしゃいませー」と脳天から黄色い声を発する薄っぺらいアルバイトだらけだがいつでも客はいっぱいだし、「伊達屋」というラーメン屋は店もぼろいし店員も陰気だが「100点の味」で常に客を引き寄せている。例外は確かにある。

だが、我が家のように「たまの外食、すばらしいひと時を過ごしたい」と考える人間にとって、「いい店」の指標となるのは、やはり「人」なのだ。市原の全料理屋さん。「フロア」の重要性を、もっと考えてください。

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