検索されるのはみんなオレ

少し前から、CodeZineにJavaの軽量フレームワークの記事を書いている。一応、連載という形にはなっているものの、毎回、フレームワークをピックアップして、数回程度で全体像をごくざっと紹介する、といった感じの「短期集中連載の連載」みたいな遊撃的構成になっている。

最初は「Apache Wicket」を取り上げて、これがまあけっこう好評で、次の記事も既に校了し公開を待つばかりとなっている。で、その次に取り上げるネタを……というわけで、あちこちフレームワーク関連を検索している。が、どうもこれがうまくないのだ。しばらく前はけっこう簡単に見つかったサイトがなかなか見つからなくなっている。原因は、「オレ」だ。「オレ」が、邪魔なのだ。

Googleで「Java 軽量フレームワーク」で検索すると、どどどっと軽量フレームワークのサイトが一覧表示される。が、それを上から順に見ていくと……どれもこれも、「オレの書いたCodeZineの記事へのリンクや参照」ばかりなのだ。これには困った。もちろん、それだけ最初のWicketの記事が好評だったということで、さまざまなところで取り上げてもらうのはうれしい限りだ。そうしてあちこちで取り上げてもらえるからこそ、自分の書いた記事が検索でも上位になり、より多くの人に読んでもらえる、というのはよくわかる。

だが、そうして「思った以上に自分の生み出したものが好評であるがために、同種の情報を集めようとすると自分の書いた情報しか出てこなくなる」という、猛烈に歯がゆいジレンマに陥ることになる。もちろん、世界中で同種の情報が他にないなんてわけはない。探せばかならずある。だがもしも、検索されたサイトのトップからずら~~~っと100番目ぐらいまですべて自分の書いた記事関連のものばかりが続いたりしたら、どうする? これは、かなりいや~んな状況じゃないかい?

ネットが普及し、誰でも情報を発信できるだけでなく、「誰でも、一番いい情報を簡単に得られる」ようになるにつれ、情報の寡占化が起こるようになってくる。「80:20の法則」というのがあるが、ことインターネットの情報に関しては「99:1の法則」に陥っているのでは?と思うことすらある。すなわち、「検索される情報の99%は、全体の1%へのリンクである」という状況になっていないか?

何かを買いたいと思って検索すると、見つかるのはすべてAmazonか楽天へのリンクばかり。技術系の日本語情報を探せば、どれもこれも@ITやCodeZineといったサイトへのリンクだけ(毎度お世話になってます、CodeZine様)。検索するとヒットする膨大なサイト群は、実は「ほんの一握りのサイトへのリンクと参照」でしかなかったりする。インターネットの時代をよく「情報の洪水」というが、洪水と思っていたものが実はちょろちょろとした小川の水でしかなかった、と感じることはないか。

インターネットが普及し、情報が氾濫するにつれ、「実質的な情報の総量」のようなものは次第に縮小傾向にあるように思えてならない。どうでもいい情報は、ごまんとある。誰それがこう思いました的な情報は確かに氾濫している。だがしっかりとした裏づけのある、信用できる、安心して利用できる「情報」は、どんどんやせ細っていくばかりだ。

Webサイトからブログへ。ブログからTwitterへ。情報はどんどん細切れとなり、そして「面白くないが役立つもの」から「面白いが役に立たないもの」へと変質していく。この行き着くところは、どこなのだろう。誰もが、他人にとって役立つ質の高い情報を発信しようとなくなったとき、なんというか「情報飢餓」のような状況に陥らないだろうか。食べても食べても何の栄養にもならない大量の食料に取り巻かれたような、そんな状況がいずれやってこないだろうか。そういう心配をするのは、やっぱり変なのかなぁ。

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