ミシンの修理屋さん

夜、いきなり妻が叫んだ。

「ミシンが壊れた!」

どうも下糸がもつれて縫えなくなってしまったらしい。カバーを外して手でゆっくり動かしながら見ると、なるほど下糸を引き出すところでからまってしまってる。「あー、駄目だな。修理するしかないな」というと、「え~~~」と不満げな声。しょうがない。なんとか自力で直してみるか、と思い、子供とお風呂の時間だったけど、子どもには一人で入ってもらって、修理に取り掛かる。

無論、ミシンなんてのは自分で使ったことすらない。直したことだってもちろんない。だが、何度かゆっくり動かしていくと、針が入っていって下糸をからめて引き出してくる仕組みが次第に見えてきた。確かに絡まっている。だが、この原理と動きは、どうやら間違ってはないようだ。更に何度も動かしてはからまる、という操作を繰り返して観察していくと、もつれる原因がわかってきた。長さ5mmほどの金属片が隣のボビンを入れている丸い部品と接触している。この部分を糸がそのまま通過すれば、絡まらずに下糸を引掛け引き出されるはずだ。

ピンセットを取り出し、その小さな金属片を少しだけ曲げて、ボビンケースとの間にコンマ数ミリほどのかすかな隙間を作ってみる。そして再び操作。今度は、どうやらもつれずに動いているように見える。よし! カバーを付け、元の状態に戻して再び動作チェック。どうやら大丈夫のようだ。妻を呼び、一通り操作してもらって正しく動くかどうか確認してもらう。ほぼ問題なし。どうやら、こっちで推測した通りだったらしい。その前に、縫っている最中に糸が絡まって団子になってしまったのだけど、その際にこの金属片に圧力がかかり少しだけ曲がってしまったのだろう。

妻、狂喜。子、「パパ、修理屋さんみたいだねー」とちょっとだけ尊敬のまなざし。いいないいな、こういうの。わずか数十分程度の作業で家族のプチ尊敬を得られるとは。プログラムのデバッグに比べればはるかに楽ちんだ。

それにしても。つくづくと思ったのは、「男ってのは、本当に物事の原理を探求するのが好きなんだなぁ」ということ。ミシンなんて興味も何もなかったが、「針が降りて上がってくるだけで、糸をクロスさせるわけでもないのになぜか下糸をひっかけて引き上げてくる」というその仕組は以前からちょっと不思議だったのだ。今回、じっくり観察することで、その動作原理がわかった。感動した。「なるほど、そうやっていたのかあああああ!」と思わず叫びたくなる心地だった。ミシンがなおったことなど、大したことではない。「なぜ、これだけの動作で下糸をひっかけて引き上げることが出来るのか」という原理がわかったことのほうがはるかに大きな喜びなのだ。

不思議な現象がある。それを観察し研究することで、その原理がわかる。すばらしい。この世に、これ以上の快楽があるだろうか。

はっきりいって、これは「糞の役にも立たないもの」だ。原理なんかわからずとも、日々布切れをぬいぬいして自分の服だの子どものワンピースだのを作ってしまう妻のほうがよっぽどエライ。これでミシンの動作原理がわかったら「じゃあオレもやってみるか」となればいいが、決してそうはならないのだ。「なるほど、そうか! わかったぞ。よし。以上」でおしまいなのだ。探求して得られた知識は、「ちょっとミシンの調子が悪かったのをなおした」という以上の役には全く立たないのだ。

糞の役にも立たない知識。なんて楽しいのだろう。

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