ipadは使えない!

というわけで、昨日、ipadがやってきたのでありました。

とりあえず一通りの設定をして、必要なデータをMacとシンクロしたりして、なんとか使える状態に。少し前にiphoneでやったことと基本的に同じなので、設定で迷うことはなかったけれど、つくづくと感じたのは、「Androidに比べて、あまりに面倒くさい」ということ。このへん、なんとかならないかしら? GoogleのID登録するだけですべて必要なデータがそのまま再現され使える点は、Androidのほうが圧倒的に上だぞ。「使いやすさ」は、アップルの独擅場だったはずなのにぃ……。

で、それからいろいろと使ってみたのだけど。……。

ダメだ。当初考えていた、「妻のiMacの代り」には全然ならないことがわかった。iphoneは、使える。これはすばらしい。ところが、それを大きくしただけのipadは使えないのだ。

これは、両者の比較対象の違いによるものだろうと思う。iphoneは、ケータイなのだ。だから「それまでのケータイと比べると」非常に便利、といった印象になる。ところが、ipadは、どうしてもノートパソコンやスマートブックといった「パソコン」と比較してしまう。これらと比べると、どうしても使いにくいのだ。

とりあえず、「これ、なんとかしてよ」という部分を考えてみると。

1.Safariの使いにくさ。
リンクを新しいタブで開くのができない(←できた。リンクの長押しだ……)。また、なぜかコピーしたものを入力フォームにペーストできない現象に遭遇。しかも、現バージョンでは同時に複数のアプリを起動できないから「見たら覚えてSafariに切り替えまた入力し直し」という馬鹿げたことをしないといけない。このあたりの使い勝手はとにかくなんとかして欲しい。バージョンアップが期待できないなら、いい加減、他のブラウザのリリースを認めて欲しい。

2.日本語入力。
入力がiphoneとほとんど同じ感覚なんだけど、どうしてもパソコン感覚で使うので、なぜか慣れない。同時にキーボード付きのドックも買ったので、キーボードからだだだだっと入力してしまうと、変換がもうなんだかわからない感じになる。ケータイの入力って、パソコンでやろうとするとものすごく変。普通にことえり入れてくれたほうがまだマシだったかも。

Androidならば、使いにくければ他の入力プログラムに入れ替えることもできる。が、ipadやiphoneではそれはできない。標準の入力を使い続けるしかないのだ。

3.アプリが非常に少ない。
ipad用のアプリは、まだものすご~~~~く少ない。「iphone用の20万本のアプリが使える!」という謳い文句は、実はマジックだ。iphoneのアプリを2倍モードで拡大すると、ものすごく貧相な感じになってしまって、とても使う気が起こらないのだ。ipadに対応したものは大半が英語で日本語未対応だったり、日本で必要なものがなかったりする。また、標準で用意されるアプリが、iphoneに比べるとかなり少ない。電話などがないのは当たり前だが、ipadならではの、ってのは何も考えなかったんだろうか。(iBookだけ?)

4.iBookが、まったく使えない。
なぜって日本語の本がまだないじゃん!! 日本のipadユーザーにとって、ipadは全然「電子書籍」ブラウザじゃない。「i文庫HD」という素晴らしい青空文庫ビューワのおかげで多少は電子書籍ブラウザとして使えるようになった(これがなかったら、ipad捨ててたぞ)ものの、これぐらいのもの、最初からつけとけよ!という気分だ。まぁ、これはいずれじゃかすか日本語の本がストアで販売されるようになるはず……なんだろうな、おい。

5.重い。
確かにノートパソコンよりは軽いんだが、ipadは「手に持ったり膝の上で使う」という感じのものなので、そういう使い方としてはかなり重いといわざるを得ない。ジョブス自身が、ソファでくつろいで使ったりしているもんだから、「これはそうやって使えるんだ」とみんな思ってしまった。が、くつろいで使うためには重すぎる。

6.ファイルが保存できない!
これは、考えてみれば当たり前といえば当たり前だったが、うっかり見逃していた。Androidでは、普通にSIMカード内にファイルを保存したりできるし、カード内のファイル管理をするブラウザツールなどまであるから、なんとなく「できるんだろう」と思っていたりした。ところが、iphone/ipadは、これはご法度らしい。結局、一番使えそうなのは、(モバイル版でない)Googleドキュメントだったりするのだった……。(あー、Googleに依存してて助かった)

その後、Dropboxのアカウントを取り、これをあちこちのパソコンなどに入れることで、なんとかクラウド経由でファイルのシェアをできる環境を構築できた。だが、そも「ブラウザでファイルをダウンロードできない」以上、ipadでファイルの扱いをすることはまず無理だ。必要なものは「Windowsマシンでダウンロードし、Dropboxに入れてipadで見る」という、おそろしく面倒くさいことをしないといけない。Androidのように「とりあえずSDカードに保存しておいて、後でビューワで見るか」というようなことはできない。

7.パソコンが無いと使えない!
これはipadの根本思想に関わってくるのだけど……、これ、実はかなり大きな問題ではないだろうか。最初にipadを起動すると、いきなりばーんと「iTunes」と出てくるのだよね。そして、それ以後、うんともすんともいわない。そのままだと全くipadは動かない。最初に付属のUSBケーブルでパソコンに繋ぎ、iTunesを起動して諸設定を行い、初期化作業が完了して初めて使えるようになるのだ。このとき、iTunesでは支払いのためのカードの設定なども行わないといけない。「パソコンが無い」「iTunesがわからない」「クレジットカード持ってない」という人は、ipadを起動することすらできない。(……あれ、カードはなくても大丈夫だっけ?)

更に、その後、wifiによる無線LANの設定をして、ようやくipadはまともに使えるようになる。この「普通に使えるようになる」までの敷居が異様に高い。また細々としたデータのバックアップはiTunesを使うけど、このときアップルのMobile Me(有料のクラウドサービス)を契約してないとデータの同期ができない項目などが出てきたりする。要するに、「Macを持っていて、アップルのMobile Meに契約している人には使い易いけど、それ以外の人は猛烈に使いにくい」ように設計されているのだ。勘弁して欲しい。

8.他、「複数アプリが機動できない」などはあるが、これは間もなくiOS4がリリースされるはずだからしばしの我慢だな。(←しまった! ipad用のiOS4はまだまだ先だ……)


考えてみれば、iphoneはすばらしいケータイだった。その素晴らしさがそのままipadで更に強力になって手にはいるんだ……と、僕は無意識に思い込んでいたところがある。だが、「すばらしいスマートフォン」は、そのまま大きくしたからといって「すばらしいパソコン」になるわけじゃなかったのだ。ケータイであれば、電話もかけられる、写真も取れる、いつでもどこでもポケットに入れて肌身離さず持ち歩ける。それらすべてをひっくるめてのiphoneだったのだ。そのiphoneから「パソコンっぽい部分」だけを取り出して大きくしたのがipadだ。ipadは、実は「機能を削られたiphone」だったのだ。そのことに僕は気づいていなかったらしい。

更にいえば、ipadは、パソコンじゃない。「パソコン的な機能を持っている」けれど、これはパソコンではない。ipadは――、

「パソコンの周辺機器」なのだ。

もちろん、プリンタなどの周辺機器とはだいぶ毛色は違う。だが、これは「パソコンの機能の一部分を取り出して持ち歩ける」という、新しい周辺機器なのだ。そう考えるとものすごく納得出来る。

確かに、iphoneやipadはすばらしく洗練されていて美しい。なにより、使うのが楽しい。ガジェットとしてすばらしい製品なのは間違いない。だが、「パソコンとして」見てしまう限りにおいては、まったく使えないのも間違いない。

これがAndroidだったらどうだろう。Androidは、ipadのようなタブレットで登場しても(既に出ているけど)、使えるだろう。――iphoneは、すべてきれいに統一されていた。使い勝手もデザインも何もかも洗練されていた。Androidは、不統一でやぼったかった。だが、その「不統一さ」は、実は非常に重要なものだったのかも知れない。Androidでは、たいていのアプリは、画面サイズがどうあってもきちんと動くように作られている。同時に複数のアプリも動く。スマートフォンだろうとタブレットだろうと、大きさや形がどうなっていようと関係なく、とりあえずは動くのだ。ipadのように2倍モードでジャギーだらけのものを使ったり専用アプリを待つ必要はない。

なにより、Androidではアプリが気に入らなければ、ブラウザも日本語入力もすべて他のプログラムに替えてしまえばいい。実際、僕のxperiaでは、ソニエリ標準のMedia Scapeなどのアプリはすべてお払い箱になり、大半が使いやすいフリーウェアに置き換わっている。

iphoneは、「アプリを追加する」ことしかできない。山のようにアプリがあっても、システムを改変するものは一切ない。それがiphoneの統一感を保証しているのだけど、同時に「システムの中身は何一つ変えられない」という不自由さにつながっている。Androidは、おそらくほとんどすべてのものを改変できる。何しろOS自体がオープンソースだ。本当にその気があれば、OSそのものを自作してしまうことだって可能なのだ。

また、実際にiphoneのAppストアを利用してみて愕然としたのは、「タダのソフトがおそろしく少ない」ということだった。もちろん、ないわけじゃないけれど、「これは使える」というものは基本的にすべて有料だ。何かちょっとしたことをするにも、常に金をむしり取られる錯覚に陥る。確かにiphoneのアプリは洗練されていてお金を払う価値はあるだろう。だが一方で、Androidマーケットでは「ダサイし素人くさいけどタダのソフト」が山のようにある。専用アプリを起動し、「無料」のボタンを押せば、無料アプリがずらっと出てくる。Androidは、大勢のアマチュアたちがその世界を作っていく空気を感じることができる。Androidは、自由だ。自由は責任が伴うし億劫だけど、しかしそれはナニモノにも代え難いのだ。

すべてを統一し管理する世界。その「良い面」がiphoneでは発揮できた。だが、より柔軟で奥深い使い方を求められる「パソコン」の世界においては、ipadは「悪い面」が出てしまっているように思える。使いにくい、だがそれは変えられない。このもどかしさは、よくも悪くもiphone/ipadの根本思想からくるものなのだ。これを否定することはできない。否定し、なくしてしまうことは、iphoneの「良い部分」をも失うことを意味する。iphoneは、自由に開放されてはいけない。それをしたら、Androidになってしまう。アップルが目指すのは、「統一された美しい独裁」なのだ。決してAndroidのような「凡庸な自由主義」ではない。

ipadがもっと軽くなり、Safariの使い勝手がよくなり、iBookストアに日本語の書籍が溢れ、AppストアにiPad対応のすぐれたアプリがひしめくようになれば、まぁipadも使えるようになるだろう。統制された世界では、すべてを「統制する側」が用意するしか道はない。

アップルのことだ、いつかはきっとすぐれた世界を構築できるだろう。だが、現時点では「これは、パソコンじゃないんだな。パソコンの代りにしよう、という考えが、そもそも間違いなんだな」とつくづくと感じてしまうシロモノだった。ipadは、およそパソコンの代わりにはならない。それが僕の現時点での結論だ。

みんな、ほんとにipad使ってるのか?
ほんとに「パソコンの代りに」使ってるのかい??
そして、なにより「この統一された世界」に満足してるのかい???

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