オリンピックの精神

なんだか、オリンピックの度に似たようなことを書いている気がするが……。

なでしこジャパンが、銀メダルをとった。そのとき、新聞やTV等のメディアはこぞって「なでしこ、銀メダル!」と報道した。オリンピックを徹夜で観戦している数多のブロガーたちも、こぞって「なでしこ銀、バンザイ!」と記事を書いていた。

いつもこういう光景を見る度に、素朴な疑問が脳裏をよぎるのだ。

なぜ、彼らは、「米国、金メダルおめでとう!」とはいわないのだろう。なぜ、わざわざ負けた2位の方を見出しに持ってくるんだ? ――いや、もちろんわかってるさ。米国は、日本じゃないからね。「日本人なんだから日本を応援して当たり前、日本だけしか注目しなくて当然」なんだろう。わかるんだ、わかるんだがね。

僕は熱心なサッカーファンじゃないし試合も見てないからよくわからないのだけど、サッカーファンならば、国がどうこうとかいう前に、「すばらしいサッカー、素晴らしいプレイ」にすなおに感心し感動するものじゃないのか? なでしこジャパンを「すばらしかった、よくやった」という記事はゴマンと見るけれど、そのすばらしい日本を打ち破った米国はもっとすばらしかったんじゃないだろうか。けれど、「米国、すばらしかった!」と素直にその戦いぶりをたたえる記事というのはほとんど目にした記憶が無いのだ。

そういえば準決勝の時、なでしこジャパンの対戦相手だったフランスに好意的なコメントを寄せたさんまがえらいバッシングにあっているという記事を見た。さんまは昔からの筋金入りのサッカーファンなわけで、だからこそすばらしいプレイを目にしてすなおに褒めたたえたのだろう。それがなぜ叩かれるのか。意味がわからない。

結局、みんなスポーツを愛してなどいないのだ。サッカーを、陸上を、体操を、水泳を、心から愛してなんかいないのだ。みんな、ただ、「日本の」サッカー、「日本の」陸上、「日本の」体操、「日本の」水泳を愛しているだけなのだ。競技なんてどうでもいい、「日本」さえ素晴らしければそれでいいんだ。そうじゃないか?

例えば、今大会では審判の誤審による問題が結構話題となった。男子体操団体では、4位だったものが、日本側の抗議によりポイントが認められ、銀メダルになった。「やった、日本体操万歳!」と多くの人が叫んだ。――そうした人にひとつ聞いてみたい。日本が銀メダルになったということは、必ず、「銀メダルから銅メダルに落とされた」国があった、ということだ。その国のことをちらっとでも考えただろうか?

その国とは、主催国であるイギリスである。彼らには何の落ち度もない。それなのに、一度は手にした銀メダルから銅メダルに落とされた。だというのに彼らは「我々にとっては銀でも銅でも変わらない価値がある」とすがすがしい笑顔で答えた。英国のメディアも、銅メダルを受け入れた彼らを賞賛した。――僕には、いきりたって審判に猛抗議する日本チームより、なんのわだかまりもなく銅メダルを受け入れた英国チームのほうがはるかに素晴らしく見えるのだが、そういうことを考えるのは変なのだろうか。

世界にはすばらしい人間がいる。まだまだ人間ってのは捨てたもんじゃない。オリンピックを観戦する醍醐味ってのはそういうものじゃないだろうか。自分の国のことだけを考え、自分の国の選手だけを見て一喜一憂していると、そうしたすばらしい選手たちの存在が目に入らなくなってしまわないか。自国の選手だけがズームアップされ、他国の選手が全て矮小化されて見えてしまうんじゃないか。

僕が「日本万歳!」な人たちに時として不快感を抱くのは、そうした「日本万歳!」な姿勢が、ほんのちょっとしたことで他国を貶め蔑むような見方に堕してしまいかねない危うさを感じるからだ。実は、旅行先でたまたま水泳をやっていてテレビで見ていたのだけど、うちの子は最初のうちは「日本頑張れ!」と応援していたのだが、気がつくと「○○、負けろ!」と口走るようになっていた。その変わりようを見て、大げさなようだけど「ぞっとした」のだ。

オリンピック憲章にはこう書かれている。

スポーツを行うことは人権の一つである。すべての個人はいかなる種類の差別もなく、オリンピック精神によりスポーツを行う機会を与えられなければならず、それには、友情、連帯そしてフェアプレーの精神に基づく相互理解が求められる。

人権、宗教、政治、性別、その他の理由に基づく国や個人に対する差別はいかなる形であれオリンピック・ムーブメントに属する事とは相容れない。

いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献する



素晴らしい。僕はたいしてオリンピックを見ていないけれど、毎晩徹夜して応援するほどに熱烈なオリンピックファンならば、その憲章の意味するものをしっかりと理解しているはずだ。「オリンピック精神に基づき、世界平和に貢献する」――まったく素晴らしいじゃないか。どこの国の選手かなんて関係なく、国籍を超えてお互いの戦いぶりをたたえ合う。それでこそのオリンピックだ。自国の勝利をのみ祝い他国をこき下ろすなぞはオリンピックを語る資格もない連中としかいいようがない。

自国の勝利にこだわる姿勢は、常に「他国の敗退を喜ぶ」ネガティブな見方にすり替わってしまう。勝利というものにこだわる限り、必ずそういう危険をはらむ。これがプロのスポーツリーグなどであるならばまだわかる。だが世界中の国や地域の代表が一堂に会するオリンピックで、そんな人間の暗いどよ~んとした一面を見せつけられるのはなんとも我慢がならない。それは、オリンピックの精神を汚すものだとなぜみんな思わないのだ?

せっかくの4年に一度の祭典なのだ。この際、国籍なんて忘れて素晴らしい競技を観戦し、彼らをたたえ合おうじゃないか。「日本が勝ったか負けたか」なんて、どうでもいいだろ? 国籍がどうだのいった小さいことは忘れた忘れた! 全部忘れてオリンピックを楽しもうぜ。

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