「いい街」とは?

ここ、佐倉に移ってつくづくと感じるのは、「住みやすい街」ということ。というと、おそらく実際に佐倉に古くから暮らす人の多くは違和感を覚えるかもしれない。

佐倉は、とにかく坂が多い。そして旧道がそのまま残っているところが多く、道も狭くて急カーブ、急勾配も多い。道路の整備が追いつかず、国道の296号などは年中大渋滞だ。

なのに、それまで住んでいた市原と比べると、格段に住みやすいのも確かなのだ。

「住みやすい街」というと、誰もが思い浮かべるのは、佐倉のすぐ上にある「印西市」だろう。東洋経済が毎年発表する「住みやすい街ランキング」で、なんと4年連続第1位を獲得している、日本一住みやすい街だ。

千葉ニュータウンを中心として大規模な開発が行われ、広く真っ直ぐな道路が町中を縦横に走っている。そして大規模商業施設や各種の大型インフラ施設などがあちこちに建設されている。土地があるので広々としており、しかも街の中心に近いところに大きなマンションなどがある。

ところが、この街、実際に何度も車で買い物に出かけているのだけど、おそろしく寒々としている。なんというか、「人はいるのに、まるでゴーストタウンのよう」なのだ。気持ちが落ち着かない。

幕張新都心が開発された頃も、似たような感じだった。以前、設計士の松澤さんという方と話をした折、「幕張は失敗だ」と断定されていたのを思い出す。「幕張新都心には裏通りがない。ごみごみした薄暗い場所がない。そんな場所に人は住めない」と。

幕張も千葉ニュータウンも、なんというか「無機質な街」なのだ。人間らしくない街、といえばいいか。辺り一帯をまっ平らに均し、縦横にきれいに広い道路を走らせる。それはすなわち、「合理性」のみを考えた設計だ。そこの土地がどんなところだったのか、そんなことは関係なく、ただ機械的に設計されたものだ。

佐倉の街は、道がくねくねと入り組んでおり、車の通りもかなり大変だ。だけど、それは「意味のある道」だ。その昔、その土地の地形から自然に生まれた道がそのまま現在も使われているわけで、その土地にあった道なのだ。

谷があり、陸があり、広い田畑があり、鬱蒼とした林がある。それらの中をくねくねと道が走る。合理的な設計ではないだろうが、自然なものだ。この佐倉という、大昔から存在し続ける土地にあったものなのだ。


「住みやすい街」ということを考えるとき、僕らはどうしても「利便性」ばかりに目が向いてしまう。便利であれば住みやすいだろう、合理的にきっちり設計された街なら何もかも利用しやすいだろう、と。けれど、「暮らす」というのは、そういうことではないはずだ。

古くからある町並み、それら一軒一軒は現在の暮らしを考えれば合理的にはできていない。けれど、新築のきれいな建物が並ぶ街より、昔からある町並みのほうが心が落ち着くのはなぜだろうか。「心落ち着く街」というのは、究極の「住みやすい街」ではないか。そして、一見、不合理に見えるとしても、「その土地の自然に沿って発展してきた街」は、その土地に暮らす上で実は一番合理的にできているのかも知れないのだ。


もちろん、僕は千葉ニュータウンに住んではいない。だから、実際に住んでいる人からすれば、印西市はとても住みやすい街なのかもしれない。寒々となんてしてない、ゴーストタウンなんかじゃない!といわれるかも知れない。それはもちろん、その通り。何が良くて何が悪いかなんて人によって違う。「千葉ニュータウンがベスト!」という人もいるし、それは全然おかしくない。

……実をいえば、僕がこれまで住んでいた市原の五井南側から国分寺台にかけて再開発された一帯というのが、実に印西市そっくりな町づくりをしていたのだ。だから初めて印西の街を訪れたとき、「え? ここって市原?」と一瞬錯覚をしたぐらいだ。(いや、市原のほうが圧倒的にしょぼいけどさ。なんていうか、空気がね。同じなのだ)

大きな道路が碁盤の目のように縦横に走り、その中に大きな商業施設がどーんどーんと建てられている。確かに便利だった、住んでいた頃は。とりあえず車でそのあたりに出かければなんでも揃ったから。

でも今にして思えば、「なんでも揃う」というその「なんでも」は、どこでも手に入るものだった。そこでなければならない、そんなものはごくわずかしかなかった。思えば市原に住んででいた頃に見たもの、手に入れたもの、食べたもの、そのほとんどは、市原でなくとも、どこであっても手に入るものばかりだった。市原は、他のどことでも置換可能な街だった。

だが、佐倉は違う。佐倉で目にしたもの、入ったお店、その多くが、佐倉でなければならない何かを宿していた。それは、「歴史」ともまた違う。例えば佐倉の旧市街は、確かに城下町としての歴史によってそうした何かが培われてきていたが、ユーカリが丘などは40年かけて自分たちでそうした「ユーカリが丘でなければならない何か」を培ってきていた。佐倉ではいたるところに、そこにしかない何かがあった。佐倉は、置換不可能な街だったのだ。

もちろん、すべてがすべてそうではない。佐倉にだってチェーン店はあるし、大きな商業施設といえば、どこにでもあるイオンだ。そして、当たり前だがそうしたところを僕は便利に利用している。どこの街にでもある当たり前のものが、僕らの生活の利便性を高めてくれているのは確かだ。

だが、利便性だけで僕の人生は埋まらない。僕の人生の幸せは、「便利かどうか、快適かどうか」だけでは決まらない。それ以外のなにかが必要だ。

市原には、そのなにかがなかった。そして印西の街も、見た限りではほとんど見当たらなかった。だが、佐倉にはそれがある。そこかしこに。

……思えば、市原にも、かつてはそこにしかない何かがあったのだ。だが市原は、その価値に気づくことなく、それらを捨て置き、そしてどこにでもある、どこでも手に入る利便性と交換してしまった。おそらく市原に限らず多くの田舎は、そうやってそこにしかなかったものを全国一律の利便性と交換することでここまで生き延びてきたのだ。そのことがその街をますます貧しいものにしていくとは気づくことなく。

佐倉にも、その気配はある。というより、既に半分以上はそうした田舎町だ。だが辛うじてまだ、そこにしかないなにかをとどめているところもある。また、そこにしかない何かを失うことで手に入れた利便性も、確かに暮らしていく上でなくてはならないものの一つなのだ。

おそらくは、その危ういバランスの上にこそ、「いい街」は存在し得るのかも知れない。いい街とは、塀の上を歩くハンプティダンプティなのだ。どちらに転んでもそれは失われる。そして、一度転んでしまったら、もう二度とは元に戻らない。

佐倉は、まだ辛うじて塀の上にいる。市原や印西は、嬉々としてそこから転げ落ちていった。誰もが幸せそうに。多分、そのことに気づかなければ、幸せなのだろう。市原に住んでいた頃、確かになんとなく幸せではあった。自分が不幸であることに気づきさえしなければ人は幸せなのだから。

だが、ここに来て我が家はみんな目覚めてしまったようだ。それまでの幸せがまやかしだったことに(妻は「住んでた頃から気づいてた」らしいが)。そしてそれは多分、幸せなことなのだろう。ああ、本当に佐倉に引越して良かった。


(※2016.6 以前、書いた内容がどうもなにか違う感じだったので、大幅にリライトしました)

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