……なんてことをタイトルにすると、猛烈におかーさまがたの反感を買ってしまいそうであります。とりあえず、ここで「自分にとって」の話だ、ということをお断りしておきます。
左様。主婦ブログが面白くないのだ。日本は、ブログ大国なのだという。本当に普通の人がブログを書いている。僕も書いてるぐらいだから誰だって書ける。さまざまな立場の人が書いている。が、いろいろ見るにつけ、どうも「こういう人たちの書いたブログは、なぜか全く面白くない(←僕にとって、ね。世間全般ということではなくて)」ということがわかってきた。それが「主婦」の書くブログなのだ。
女性のブログ、というわけではないらしい。なぜなら、働く女性の書くブログの中には、面白いもの、興味深いものもいろいろとあるからだ。が、主婦のブログでは、「面白いもの」に出会うことはあっても、「興味深い」ものに出会うことがまずないのだ。なので、面白いものがあっても、「はははは、面白かった」でおしまい、となってしまう。その後がない。
が、そうしたものが人気がないわけではない。むしろ、僕の書いてる下手なブログなんぞよりはるかにアクセス数も読者も多いところはごまんとある。あるが……、読んでも「なんで人気があるの?」と頭の周りに???がぐるぐる回ってしまうことが多い。僕にはさっぱりその良さがわからないのだ。
何が違うのだろうか、と前々からなんとなく不思議に思っていたのだけど、今朝、とあるブログを眺めているうちに、気がついた。主婦のブログは、基本的に「共感」を目的とするものなのだ。こんなことがあった、あんなことがあった、こう感じる、ねえそうでしょ? みんなそうじゃない? そういうものなのだ。そして、同じように共感する主婦たちが、そうそうそうなの、よくぞいってくれました……と集まってくる。お互いに、同じ主婦という立場での思いをやり取りし合い、共感しあう。
だから。つまらない。
こうしたブログを読むたびに、(それがどんなに面白くとも)読後、僕は常に胸の中でこう叫ぶのだった。
はははは、いやー面白かった。ところで。この記事の主張は何なんだ?
……そう。僕は、どのような記事であれ、そこにある「主義主張」を読み取って、はじめて「面白い」と感じる体質らしい。あんなことがあった、こんなことがあって、はははそれは面白いね。そういう話はもちろんそれはそれでいい。だが、そこに「つまりこの話はこういうことを主張したかったのだ」というものがないと、「え? これで終わり? 続きは?」となってしまうのだ。
だから、働く人のブログは、割と面白いことが多い。さまざまな話があった後、それを仕事や社会と結びつけた結論に続くことが多いからだ。それが納得出来るかどうかはさておき、「なるほど、この人はここでこう主張したいのだな」ということが伝わってくる。それを受け取って、初めて僕は得心できる。だが、主婦のブログの多くは、この「得心する」まで行かずに、その手前で終わってしまう。
……このへんまで読んできて、「それは主婦への差別よ!」「主婦を下に見ているのよ!」と叫びたい人、ま、もう少し待って。僕は別に「だから主婦は駄目だ」といいたいわけではない。「違う」ということは、決してそこに上下関係があるわけではない。ここを勘違いしないで欲しい。例えば、ときどき「男と女は違う」とかいうと、途端に「女性を下にみているのね」的な反応を示す人がいるけど、そうじゃない。違うというだけで、どちらが上かといいたいわけではないのだ。
つまり、主婦にとって、生きる上でもっとも重要なことは、この「共感」なのだ、ということがなんとなくわかってきたのだ。共感してもらう、わかってもらう、理解してもらう、それが生きる上で何より重要なのだ。そうじゃないだろうか?
僕もしょっちゅうやってしまうのだけど、妻の話を適当に聞き流して「はいはい、わかった、ちゃんと聞いたからもういいでしょ」的な対応をとってしまい、妻のちっぽけな火に多量のガソリンを投下して燎原の火と化すことがある。僕にとって(というより、ほぼ男全般にとって)会話とはコミュニケーションではなく、「議論」だ。すなわち、会話するということは必ず「お互いに主張がある」はずで、それは必ず何らかの「結論」に至りそこで終わる、というのが当たり前だ。主義主張もなく結論もない会話など、男の間では存在しない。
ところが、多くの女性には、会話に「主張」が必ずしもあるわけじゃなく、従って「結論」が欲しいわけでもない。会話は、ただ「コミュニケーションの手段」にすぎない。
こういうことはよく話としては耳にしているし、自分でも「はいはい、話を聞かない男と地図が読めない女ね、わかってますよ」と思うのだけど、実は全然わかってなかったのだ。そうやって「はいはい」といなす時点で、わかってない、ということなのだな。無意識のうちに「それは時間をかけて討論すべき重要性をもたない話だ」と処理してしまう時点で、全然わかってなかったのだ。そして、そうした女性に対し、自分の意見を主張してしまうのは「全然自分はわかってない」ということに気づいてさえいない、ということだったのだ。
自分とは相容れない世界がある。そういうことだ。そして、そうした世界もあわせての世の中なのだ、ということをもう少しきちんと考えないといけない。男という生き物は、ついつい「自分にとって価値のないもの」の扱い方を間違えてしまう。これはいけない。なにしろ、我が家は3分の2が「女性」という世界なのだ。そういう世界に僕は生きているのだから。
というわけで、最近、意識して知り合いの主婦ブログを読んだりしております。そして、読んではははは……と笑い、「え、これで終わり? 結論は? いいの? そうか、これで終わりでいいのか」と、主婦流会話の学習をしているのでした。これで、妻とのコミュニケーションが少しでも上達すれば儲け物ではないか!
世の男性諸君。たいして面白くもない奥さんの話をちゃんと聞いてますか?「そんなもん、必要ない。以上」という人。定年退職後に奥さんに捨てられないようにね。
素晴らしい。
返信削除見事に世の中の妻と夫の主張を言い当てている。