ipadと上流社会

ipad環境のことをいろいろと調べていたのだけど、いやいや、けっこうネットで見る限りは評価が割れていますねぇ。「ipadは使える」という人と、「使えない」という人と。で、僕は実際に使ってみて「全然使えない」と感じたので、その逆の「使える」という人達は、一体どういう使い方をしているのだろうと少し検索していたのだけど……。

なるほど。僕のように「パソコンの代り」としては、みんな最初から考えていなかったわけだ。スマートフォンとパソコンの間に位置する、新しいデバイス。これ、言葉でいうのは簡単だけど、なかなか体が受け付けないと思うのだけど、やはりすんなりとその新しい位置に自分の体を滑り込ませることのできる人もいるわけで、そうした「これはパソコンだ、なんて露ほども思わない人たち」にとっては、ipadは非常に使えるデバイスとなったのだろうと思う。だが……。

机に向かうのでなく、どこでもインターネットが出来る。どこにでももっていける。カフェで一服しながら使えます、バーで飲みながら使えます、ipadをプロジェクタにつないでkeynoteで講演をしています、自宅と会社の両方にキーボード付きのドックを用意して実に快適です、出張先のホテルでもwifiでつないで使えます、等々……。さまざまな使い方、接し方、考え方を見ているうちに、次第になんというか「不快感」が腹の奥底からじわじわと沸き起こってきたのだった。

ipadを「便利だ、使える!」といっている人たちには、ある種の共通するものがある。それは、「彼らは、皆、上流にいる」ということなのだ。

自宅にMacがあり、MacBook Airを持ち歩き、iphoneを持ち、更に「試しに」数万円のガジェットをちょっと買ってみて、ついでに自宅と会社用に数台のドックも買ってみた。そういうことをさらりとできる人たちが、「ipadは使える」といっている。そんな構図を僕は見てしまうのだ。数年前に買ったXP搭載マシンを今も使い続け、なんとか今年こそはパソコンを新しいものにできるといいな、スマートフォンもいいけどパケットの使い放題で月に8千円近いんじゃとても無理だ……そういう人が、なけなしの金を払ってipadを買うわけではない。

iphoneもipadもパソコンも、新しいものがでればわずか1年かそこいらしか使ってないのにぱっと新しいものを買って最新の技術を享受する人。買った以上は、使いにくかろうがなんだろうが何年もずっとそれを使い続けるしか選択肢はない人。両者が同じ感覚で製品を評価できるはずはない。

「ipadはパソコンの代りになるか?」という問に、「そもそもipadはパソコンの代りになるものじゃない。まったく新しいデバイスなんだ」と答える人は、少なくとも「パソコンを所有していて、それとは別に新しいものを、それが使えるかどうかわからないのにぽん!と買う余裕のある人間」だ。少なくとも、「数万円でipadを買えば、もっと高いパソコンを買わずに済む」とそろばんをはじいていた人ではないはずだ。

僕が「iMacの代りになれば」と思っていたのは、仕事で妻のiMacを長期間僕が借りないといけない、ということがあったからだ。ipadで妻が必要なことをすべてできるなら安上がりだ、という思惑があったからだ。もう1台Macを新たに買えばいいだろう、って? それが軽くできるくらいなら誰がこんなに苦労するものか。――世の中には、多分、そういう人間はたくさんいる。「新しい何かを買う」のは無理だけど、「これこれの代りになる」ならなんとか買える、そう判断する人が。

「パソコンの代りに」と考える人の多くは、実は経済的な理由がその背後にあったのかもしれない。何かの代りになるわけでもない、役に立つかどうか分からない新製品にぽんと数万を出すことなんてとてもできない人たちは、きっと世の中にたくさんいる。「これこれの代りになるんだから、きっと元は取れる」そう自分に言い聞かせ購入に踏み切った人たちが。パソコンの代りに、それより安上がりなipadを選んだ人間にとって、ipadは果たして使えるものだったろうか。例えば、朝5時に家を出て夜11時に家にたどり着き、週末は泥のように眠るだけ、おしゃれなカフェもバーも週末のおでかけも連休のちょっとした小旅行もすべて無縁。そういう人間にとって、ipadは素晴らしいか? なけなしの金をはたいて買う価値のあるものか?

ipad、そしてiphone4。5月6月と、アップルは世界の話題を独占し続けた。多くの人が熱狂した。アップルストアには発売や予約の前に長蛇の列ができ、オンラインストアはパンク寸前となった。――だが、そこに殺到し騒いでいた人々は、少なくとも社会の「下流」にいる人間ではなかった。そうなのだ、昔からアップルは「貧乏人など相手にしない会社」だった。そのことを僕は忘れていた。アップルが、「貧しい人達に優しい会社」であったことなど、今まで一度としてない(いや、創業当初は、そうだった。だがその社風は、ウォズニアックと共にこの会社から消えてしまった)。

そもそも、デジタルガジェットの類いの大半は、そういうものではないだろうか。仕事の上で「パソコン」はないといけない。そういう人は多いだろう。どんなに生活が苦しくともパソコンはもってないといけない。米国で、どんなに貧しくとも車はないといけないように。だが、それ以外のガジェットはすべて「ぜいたく品」でしかない。間もなく終了するアナログTV放送からデジタルに移行するのにチューナーを買うべきかどうすべきか……と悩む家庭には無縁の世界なのだ。クールなガジェットは、すべて「社会の上流にしか存在しないもの」なのだ。

もちろん、「いや、そこまで苦しい生活じゃないぜ」という人も多いだろう。だが、程度の差はあれ、「面白いから、というレベルで数万出すのはちょっと苦しいな」という人はきっと多いはずだ。決して生活に余裕があるわけじゃないけど、なんとかお金を工面してipadを買ってみた、そういう人は多いはずだ。「まぁ、面白いし、いい体験ができたから払ったお金は無駄じゃなかったな」と何の抵抗もなく思える人ばかりじゃないはずだ。「これだけのものに数万か……」と内心気落ちしている人もいるはずだ。「ipadを買う金があれば、他のことにずいぶんと有益に使えたかも」と内心思う人もいるはずだ。ipadを「趣味だから、おもちゃだから、真新しいガジェットだから」と割り切れない人にとっての価値は? その金額に見合う価値は何だろうか。

ipadを高く評価する人の多くは、「その程度の金を使っても痛くも痒くもない人たち」だ。僕にとっての数万と、彼らにとっての数万はたぶん、その価値が全く違うのだ。あちこちの「ipadは使える」という記事を読んでいると、次第にこういわれているような気がしてくるのだった。「あんたみたいな貧乏人には、ipadの良さはわからないよ」と。

気のせいだろうか。僕の被害妄想? 「たかだか数万のガジェットにそういうこと考えるか?」といわれそうだな。だけどね、僕はつくづくと思うのだ。世にごまんとipadに関する記事は溢れている。だけど、そこに果たして「生きていく上でまったく必要でもないものに数万円を払って手に入れる」ということに対する真摯な問いは含まれているのだろうか――と。ITに携わる人々の多くは、このことを忘れている。すべての製品は、人々が苦労してやっと手に入れたお金で買われるのだ、という視点を。労せずして手に入れた金でガジェットを書い、「これは使える!」と判断することの意味を、一度は考えてみようじゃないか。昔からいうではないか。

「よ~く考えよ~。お金は大事だよ~」

コメント

  1. iPhoneの値段の敷居を庶民価格に下がってきたから
    ブランド物てipadを出してきた気がします
    ipadが庶民の価格になれば
    次のブランド商品が出てくるでしょうね
    お金持ちから搾取しないと、こいいう商品は
    誕生してきませんからねえ

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