一票の格差は、必要だ!

昨日、一票の格差に対する新たな判決が出た。最大で5倍を越える格差は違憲である、という東京高裁の判断だ。諸外国では、どこもこの「一票の格差」というものに対し、非常に注意深い対応をとっている。日本はほぼ放置に近い。5倍以上の格差をそのまま放置するとは何事だ、という法の番人からの叱責だろう。

そうした状況を踏まえて、あえて書いてみる。
どうして、格差があったらいけないの?

いけないにきまってる、同じ一票でも重さが違うことになる、神奈川の人の一票は、鳥取の人の一票の5分の1しかないことになる、すべての人が平等に参政することを考えたら一票の重さがこれだけ違うのは大問題だ。そういう意見はわかる。わかるんだ。だがね。

どうして、すべての人が平等じゃないといけないんだ?

世の中にはさまざまな権利がある。すべての人に平等にすべき権利もあるし、平等である必要のない権利というのもあるだろう。一票というのは、すなわち「政治に参加する力の大きさ」を意味する。ある人の投票した一票が、政治家を選出するのにどれだけの重さを持っているか、だ。だからこそ、すべての人に平等であるべき、と考えるのだろう。

――そうだろうか。だからこそ、すべての人が平等であるべきではない、と考えるのは間違いなのだろうか。

日本でもっとも一票が「軽い」のは、神奈川の横浜などを中心とした選挙区だ。そして一票がもっとも「重い」のは鳥取選挙区だ。人口が密集するところほど一票は軽くなり、過疎が進むところほど一票は重くなる。

この2つの地域を思い浮かべてほしい。あなたは、どちらに住みたいと思うだろうか。
どちらが住みやすい、暮らしやすいと思うか。
どちらが、国による支援を必要としているだろうか。
どちらの声が、世間的に弱く、日本中に届きにくいと思うだろうか。

一票の格差がない、というのは、すなわち「人口比率に従って政治家が選出される」ということを意味する。わかりやすいように、例えば「東京に51%の人口が集中している」という状況を考えてみよう(更にわかりやすいように、比例区や全国区といったものを考えず、純粋に選挙区から選出される政治家のみを考えてみよう)。

もし、完全に一票の重さが均一であるとしたら、国会議員の51%は東京選出の者となる。すなわち、あらゆることについて、「東京の意見はすべて可決され、それ以外の地域の意見はすべて否決される」世の中となる。考えてほしい。そうした世の中は、よい世の中だろうか。

もし、どんなに人口が集中していても、東京は一人だけ、どんなに過疎が進もうと鳥取も一人だけ――そうやって政治家が選出されるなら、すべての地域について均等に考えることになるだろう。少なくとも、人口が集中する地域の声ばかりが優先される世の中にはならないだろう。

一票が軽いというのは、人口が集中しているからであり、それは「大勢が集まるだけの理由がある」ということではないか。それは、暮らしやすい、住みやすいところであり、さまざまなところで他の地域よりも有利なことが多いはずだ。逆に、一票が重いというのは、人口が少ないからであり、それは人々が次第に去っていく場所なのだ。ただでさえ、さまざまな点で他の地域より不利な地域なのだ。

東京や横浜は、ただでさえ他の地域よりさまざまな点で有利だ。そして鳥取のようなところは、ただでさえ他の地域より不利な点が多いのだ。そうした「あらゆる点での格差」には目をつぶり、「一票の格差」という格差だけを取り上げ「平等であるべきだ」という主張が僕にはまったくわからない。

他のあらゆるところで不利ならば、別のところで優遇する。それが「平等」なのではないか。他での不利は不問に付し、有利な点だけをあげつらって「平等にすべきだ」と叫ぶ、それが本当の「平等」なのだろうか。

というわけで。
僕は、「一票の格差は、必要だ」とここで主張してみたい。更に言えば、選挙区なんてのは全国をすべて同一面積の選挙区で割って決めてしまえばいいと思ってる。北海道の原野で人口5人でも国会議員は1人、東京1000万人が暮らしていても1人。それぐらいの格差をつけて、ようやく「トントン」じゃないだろうか。

それでも「格差は問題」と考える方。
「一票の格差」を声高に叫ぶ、一票の価値の低い、すばらしく暮らしやすい都会に住む皆さん。「一票の格差を是正し平等にする。その代り、生活水準もすべて鳥取と同じにする」となったら、賛成しますか? 平等というなら、まさにそれが平等と思いますが……いかが?

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