実名の力

エジプトで実質的な(ほぼ)無血革命が成功しようとしている。そこで、Facebookが大きな力となったことが報道されていた。当初発生したデモは治安当局により封じ込められ下火になりかけていたが、Google社員だったワエル・ゴニム氏が拘束され、その後解放されたあたりから急激に拡大。遂には大統領辞任へとつながったわけだ。

これを「ネットの力」と表現するメディアもあった。が、これはやや不正確な気がする。Facebookの力だ。そしてFacebookの力とはなにか?と考えたとき、思い当たるのは「実名の力」だろうと思うのだ。ワエル・ゴニムというひとりの人間が、匿名ではなく実名で登場した。そして彼がデモの象徴となった。もし、彼が匿名であったら、デモは鎮圧されていたのではないだろうか。

「ネットの力」といわれる。僕は、ネットには力なんかないと思っている。あるのは、ネットにアクセスする「個々人の力」でしかない。そして個々人がどれだけ力を発揮できるか、発揮しようと思うかによって物事が動くか否かは決まる。ネットは、ただの「場」でしかない。ネットそのものが何かを行えるわけではない。

そして、一人ひとりがなにか行動をしようと思ったとき、「匿名で何とか済ませよう」と考えるのと、「実名公開をも辞さない」と思うのとでは、それに対する覚悟が違う。そう、「実名主義」とは、「そこで活動する覚悟を試すもの」だろうと思うのだ。Facebookの実名主義は、そうした覚悟のある大勢の人間を集めることに成功した、ということではないか。

日本ではFacebookは根付かない。mixiがソーシャルネットワークの主流となり、実名ではなくニックネームを中心としたつながりが中心だ。――もし、日本でエジプトのようなことが起こったら、はたしてどうだろうか。もちろん全く国の事情も違うわけで、ただの空想でしかないが、日本ではネットはそこまでの力は持ち得ないんじゃないだろうか。なぜなら、日本は「匿名主義」が幅を効かせているからだ。

冒険というのは危険を顧みないことから生まれる。安全を担保した冒険などありえない。日本の社会がどうも躍動感にかけるのは、誰もが「匿名」という安全地帯に身をおいたまま何かしようとするからではないだろうか。

匿名の利点と実名の利点。どちらもあるだろうし、どちらが優れいてるというものでもないだろう。だが、そろそろ日本でも「実名の力」を考える時期に来ていないか。匿名を捨てよ、実名の世界に行こう。――ちなみに、僕のFacebookアカウントは以下の通りだ。


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