東北を差別すべし!と考える人が増えている
もう勘弁して欲しい。武田先生。テレビ番組で「東北の農産物は買わないほうがいい」と発言し、ブログでは「東北関東のトイレットペーパー、ノート、CDは買わないほうがいい」という。製品の表面に「この製品は年間0.01ミリの被曝を下回っています」と書いてあったら買ってもいい、という。そんなことをしているメーカーがあるものか(そもそも、1つ1つのトイレットペーパーごとに被曝量を測定し記載するということが可能かどうか考えてみればわかるだろう)。この人は、自分の発言の影響力をまったくわかっていないんじゃないだろうか。
東北ではさまざまな形で放射能による汚染が広がっている。これは事実だ。だが、だからこそ冷静に東北の被曝の実態を見極め判断しなければならない時ではないか。農作物でさえ、地域によって被曝量はかなり異なることがわかっている。実際問題として、東北地方のかなりの地域は既に東京などとほぼ変わらないレベルに空間線量は落ちている。危ないのは、ホットスポットと呼ばれるところと原発周辺ぐらいだ。「どこが危険か、なぜ危険か」といったことを知り判断すれば、本当に危険な地域と、関東東海とほとんど変わらないレベルの地域が見えてくる。そのためには正確な情報が必要であり、そして「東北には危険があるが、しかし東北のすべてが危険ではない」ということを明確にする必要があるのだ。
そうすべき時期に、「東北の農産物は買わないほうがいい」だの、工業製品も買わないほうがいいだのと人々を煽る発言をする意味がわからない。そもそもCDなんてのは閉鎖され空気も清浄に保たれた屋内で製造されているわけで、なぜこれが「買わないほうがいい」のかさっぱりわからない。
もちろん、「そうはいって東北のものを買うのは不安だ」という感情はわかる。「子供に安全なものを食べさせたい、親ならみんなそうだ」というのは、僕だって親だからわかる。だが、それはあくまで「それがほんとうに危険であることがわかっている」ことが前提だ。危険でもないものを、雰囲気で排除することが「親ならみんなそうだ」で理解されるものとはとても思えない。
僕は、不安なのだ。東北の農産物は買わないほうがいい。工業製品も買わないほうがいい。東北のものはみんな汚染されている。――これは、突き詰めていけば、こういう結論に辿り着かないか?
東北の人間は汚染されている。
今の「東北バッシング」を放置したなら、早晩、人々はこの結論にたどり着くだろう。農作物や工業製品は、廃棄処分する道がある。では、人間は? 東北の人間はすべて殺して埋めてしまえというのだろうか。もちろん、これは極論だ。だが「東北のものは買うな、東北はすべて汚染されている」という考えが行き着くところはそこだ。東北そのものをこの世から消せ。そこに行き着くしかない。
既に各地で東北からの被災者に対する差別が問題化している。農産物などでとどまればいいが、こうした差別は着実に「モノ」から「人」へと広がる。戦後、広島長崎の被爆者がどれほどの差別を受けてきたことか。いや、放射能ということに限らずいえば、人はいつの時代もありとあらゆることで人をいわれなく差別してきた。原爆、ハンセン氏病、同和部落、エイズ。もう十分すぎるぐらいだ。まだ差別の対象が足りないのか。
これ以上、感情で、雰囲気で、空気で、東北を差別することがあってはならない。
「東北の農産物、製品は買わないほうがいい」――これは間違っている。「汚染された農産物、製品は買わないほうがいい」――これが本来の考え方だ。ここを混同してはならない。どこで作られたかが重要ではない、「被曝したかどうか」が重要なのだ。
そもそも、なぜ「東北」なのだ。しばらく前、それは「福島」だった。それが今は気がつくと「東北の……」となっている。おそらく少し先には「東日本の……」となるだろう。いや、既にそうなりかかってはいまいか。
その発想の辿り着く先は、「日本の……」だ。今、「東日本のものは買わないほうがいい」という人は、世界中が「日本のものは買わないほうがいい」ということを肯定することにつながる、ということを理解しているだろうか。
「東北」という範囲を指定し、自分はその外側にいると安心して東北を差別する東北以外の人々へ。あなたは、外側にはいない。あなたは、「日本」という範囲の内側にいる。自分が東北を差別するということは、自分も日本外から差別されるのだ、ということを理解して欲しい。日本は狭いのだ。狭い国の中の一部を切り取って差別することの無意味さを考えようじゃないか。
一方で「東北を支援しよう」という。
「がんばろう東日本」という。
その同じ舌で、「東北のものは買わないようにしよう」ということのバカらしさ。
東北ではさまざまな形で放射能による汚染が広がっている。これは事実だ。だが、だからこそ冷静に東北の被曝の実態を見極め判断しなければならない時ではないか。農作物でさえ、地域によって被曝量はかなり異なることがわかっている。実際問題として、東北地方のかなりの地域は既に東京などとほぼ変わらないレベルに空間線量は落ちている。危ないのは、ホットスポットと呼ばれるところと原発周辺ぐらいだ。「どこが危険か、なぜ危険か」といったことを知り判断すれば、本当に危険な地域と、関東東海とほとんど変わらないレベルの地域が見えてくる。そのためには正確な情報が必要であり、そして「東北には危険があるが、しかし東北のすべてが危険ではない」ということを明確にする必要があるのだ。
そうすべき時期に、「東北の農産物は買わないほうがいい」だの、工業製品も買わないほうがいいだのと人々を煽る発言をする意味がわからない。そもそもCDなんてのは閉鎖され空気も清浄に保たれた屋内で製造されているわけで、なぜこれが「買わないほうがいい」のかさっぱりわからない。
もちろん、「そうはいって東北のものを買うのは不安だ」という感情はわかる。「子供に安全なものを食べさせたい、親ならみんなそうだ」というのは、僕だって親だからわかる。だが、それはあくまで「それがほんとうに危険であることがわかっている」ことが前提だ。危険でもないものを、雰囲気で排除することが「親ならみんなそうだ」で理解されるものとはとても思えない。
僕は、不安なのだ。東北の農産物は買わないほうがいい。工業製品も買わないほうがいい。東北のものはみんな汚染されている。――これは、突き詰めていけば、こういう結論に辿り着かないか?
東北の人間は汚染されている。
今の「東北バッシング」を放置したなら、早晩、人々はこの結論にたどり着くだろう。農作物や工業製品は、廃棄処分する道がある。では、人間は? 東北の人間はすべて殺して埋めてしまえというのだろうか。もちろん、これは極論だ。だが「東北のものは買うな、東北はすべて汚染されている」という考えが行き着くところはそこだ。東北そのものをこの世から消せ。そこに行き着くしかない。
既に各地で東北からの被災者に対する差別が問題化している。農産物などでとどまればいいが、こうした差別は着実に「モノ」から「人」へと広がる。戦後、広島長崎の被爆者がどれほどの差別を受けてきたことか。いや、放射能ということに限らずいえば、人はいつの時代もありとあらゆることで人をいわれなく差別してきた。原爆、ハンセン氏病、同和部落、エイズ。もう十分すぎるぐらいだ。まだ差別の対象が足りないのか。
これ以上、感情で、雰囲気で、空気で、東北を差別することがあってはならない。
「東北の農産物、製品は買わないほうがいい」――これは間違っている。「汚染された農産物、製品は買わないほうがいい」――これが本来の考え方だ。ここを混同してはならない。どこで作られたかが重要ではない、「被曝したかどうか」が重要なのだ。
そもそも、なぜ「東北」なのだ。しばらく前、それは「福島」だった。それが今は気がつくと「東北の……」となっている。おそらく少し先には「東日本の……」となるだろう。いや、既にそうなりかかってはいまいか。
その発想の辿り着く先は、「日本の……」だ。今、「東日本のものは買わないほうがいい」という人は、世界中が「日本のものは買わないほうがいい」ということを肯定することにつながる、ということを理解しているだろうか。
「東北」という範囲を指定し、自分はその外側にいると安心して東北を差別する東北以外の人々へ。あなたは、外側にはいない。あなたは、「日本」という範囲の内側にいる。自分が東北を差別するということは、自分も日本外から差別されるのだ、ということを理解して欲しい。日本は狭いのだ。狭い国の中の一部を切り取って差別することの無意味さを考えようじゃないか。
一方で「東北を支援しよう」という。
「がんばろう東日本」という。
その同じ舌で、「東北のものは買わないようにしよう」ということのバカらしさ。