本当にアップルを選択していいのか?を考えるべき時にきている

米国でのアップルvs.サムスンの訴訟判決が出て、あちこちのメディアでその報道のみならず、この判決が与える影響のようなものが伝えられている。それらを見ていて、どこかしら引っかかるものを感じたので書いておく。

どうもね、どのメディアを見ても、「iPhoneはジョブス入魂の作品であり、これこそがオリジナル。AndroidはiPhoneからさまざまなものを真似してできあがった」というような見方が定着しているような気がするのだね。どうもそこが気に入らない。

確かに、初代のiPhoneが出たのはAndroidより早い。だけど、iPhoneが2008年7月で、アンドロイド搭載の最初のスマートフォンが出たのが2008年10月だから、そんなに大きな違いがあるわけじゃない。そもそもAndroidの開発は2003年に始まったものだしね。

「Androidは当初、キーボードをつけたブラックベリーみたいなものだった。それがiPhoneを知って、同様な形態を真似してヒットした」といわれるけれど、Androidにはキーボード付きのモノの他に、当初からDreamというiPhoneのような全面液晶のタッチパネルモデルもあった。そもそもAndroidはさまざまな端末で様々なシーンでの利用を考えられていたから、選択肢は1つじゃなかった。「iPhoneがヒットしたら、そっちに舵を切った」ということであって、iPhoneを見て慌ててその形にしたわけじゃない。

そのあたりの流れをきちんと追うわけでなく、「ジョブスがAndroidを見て激怒した」だのといったアップル寄りの話で「そうだったんだ」と思われてしまってるフシがないだろうか。そもそもiPhone以前から「全面液晶、タッチパネルの携帯端末」なんてのはゴマンとあったわけで(経営悪化したシャープが、そのうち「iPhoneはザウルスの真似をした」と訴えるんでないかと僕なんかは思ったりする)。確かにiPhoneの完成度はAndroidを上回っていたのは確かだ。だが、正直なところ、ここ1~2年の流れを見ると、「iPhoneがAndroidの真似をする」ことのほうが多くなっていないか?

特に、iOS 5のアップグレードは、多くの人が「iPhoneのAndroid化じゃないか?」と思ったはずだ。あの通知機能はモロにAndroidのパクリだろう。鳴り物入りで登場したSiriにしたところで、「音声入力による検索」はGoogleのほうがずっと前から手をつけていたものだろう。

iPhoneの機能は洗練されていたが、それは機能がシンプルにまとめられていたからで、純粋な機能としてはかなり以前からAndroidのほうがiPhoneを上回っていた。そのAndroidのユーザビリティをiPhoneが後追いするシーンも最近では目立っている。正直言って、「画面を最後までスクロールしたらぼよ~んと戻る」なんてのが特許として認められるなら、「上部の情報バーをドラッグして引き出すと細かな情報が表示されるシステム」だって「音声による検索」だって特許として認められただろう。GoogleはiOS 5をAndroidの特許侵害で訴えることもできたはずだ。

特許がどうなっているか僕にはよくわからない。だが、「どこからがiPhone独自のオリジナリティなのか」ということを精査せずに、「iPhoneっぽいものはなんでもiPhoneの真似」と思い込んだ報道が目に余る気がするのだ。既に報道機関も、アップルの魔力に侵されている、という見方をするのは変だろうか。


Googleは、あらゆるものをオープンにすることで成長してきた会社だ。そしてアップルは、あらゆるものを閉鎖的に囲い込むことで成長してきた会社だった。この2つの企業がぶつかることは、おそらくは避けられない道だったとは思う。

アップルは今や時価総額世界一の企業となった。新製品の発表は世界中が注目し、出せば常に大ヒットが当たり前となった。「iPhone 5が発売されればAndroidユーザーの5分の1はiPhoneに買い換えるだろう」という予測も出ている。

確かに、現時点においては、スマートフォンは「Android圧勝」に近い状況だったりする。が、正直なところ、アップルの勢いは予想以上のものだ。今回の全面勝訴が、Android陣営をひるませ、iPhoneの更なる躍進につながる可能性は高い。なにより、今回の判決が、あきらかに「アップル大好きな米国人たち」によって作られた判決であることを僕は強く感じる。アップルは、とうとう米国の司法にまで影響を与える存在となりつつある。買収も圧力も必要ない。陪審員も裁判長もアップルが大好きな世の中で、アップルと対等に戦うことなど果たしてできるのか。


もうぼちぼち、僕らはまじめに考えなければいけない。

僕らは、「アップルが世界を支配する未来を選択するのか?」ということを、だ。

既に邪悪になっているといわれるGoogleだが、僕は「Googleが支配する未来」を想像してもさほど恐怖は感じない。なぜなら、少なくとも今のGoogleが成長していくのであれば、それはオープンな世界となるはずだからだ。Googleであれば、少なくともGoogleに属さない何かが登場しても、その存在を否定することはないだろう。買収するか、技術的に更なるものを作り出して打ち負かす道を選ぶだろう。(もちろん、そうならず、悪の帝国となる可能性もあるけどね)

だが、アップルの支配する世界は、ひどく風通しの悪い、窮屈で息苦しい世界となるはずだ。彼らは、相対する者の存在を許さない。あらゆる分野でアップルの提供する機器・サービス・システムだけしか選択肢がない、それ以外の存在を許さない世界。おそらくは、その世界は素晴らしいものとして作られるだろう。だが、それ以外の選択肢がない世界が果たして本当に素晴らしいものとなり得るのか。


同様のことは、例えばFacebookなどでも感じる。世の中は、どんどん閉鎖的な、ユーザーを囲い込んで夢見心地の体験をさせる方向へとシフトしつつある。「ほら、こんな素敵な体験ができるのはうちだけですよ。すばらしいでしょ? だからずっとうちにいなさい。他のものなんて存在しなくていいでしょ」と耳打ちする声が聞こえる。妄想だろうか、それは僕の。

世の中は、誰も彼もがこぞってアップルを持ち上げる。アップルの味方をする。メディアはアップル製品の提灯持ち記事を書き、アップル製品を絶賛する。人々はアップルの新製品に群がる。気持ち悪い。僕もアップル製品は持っているし、そもそもapple ][の時代からの筋金入りのアップルユーザーだ。が、しかしこの状況は「気持ち悪い」以外のナニモノでもない。

素晴らしいディズニーランドより、僕は何もない原っぱのほうが好きだ。あらゆる原っぱを掘り起こしてすべてディズニーランドにすればすてきな世の中になるのか?

考え過ぎかもしれない。「アップルはそんな邪悪な会社じゃないさ」というかも知れない。だが、そうやって年月が過ぎ、ふと気が付けば世界中がディズニーランドになっている――そんな末恐ろしい未来だけは御免だ。

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