家庭の食品ロス問題は世界の食糧事情を解決するのか?

最近、ニュースサイトなどをチェックしていると頻繁に目にする広告がある。政府のPR広告なんだけど、「もったいない! 食品ロスを減らしましょう」というやつ。あーあれか、と思う人も多いんじゃないだろうか。

これが、どことなく変な感じがしたのだけど、なんとな~くそのまま深く考えずにいた。が、ちょっと思って政府広報のページを見て、その違和感の原因に気がついた。以下、政府広報にあったドキュメント。





日本では年間500万~600万トンもの食料が無駄に廃棄されている。世界では飢餓に苦しんでいる人もたくさんいるというのに。こうした無駄をなくせば、家計にも環境にもやさしい暮らしができる。アフリカの多くの人達を救うことができる。……みたいな話ね。

これがね、どうも引っかかっていたのだ。つまり、僕が考えた限りでは、「家庭で廃棄される食品ロス」を減らしても、アフリカの人々に回される食料はまったく増えないと思うから。だって、今日残ったこの御飯をそのままアフリカに送れるわけじゃないでしょ?

「そんなの当たり前だ。大勢が食品ロスをなくせば日本が消費する食料も減り、結果的にアフリカへ回される食料が増えるんだ!」と怒られそうだな。でもね、それは違うと思う。アフリカに回される食料が少ないのは、アフリカに金がないからだ。日本人が沢山消費するからじゃない。

そもそも食品ロスで本当に「なくせば食料の消費が減らせる」という部分は、外食や中食産業の部分だろう。マクドナルドが時間の経過したハンバーガーを大量に廃棄する、セブン-イレブンが時間の過ぎた弁当をすべて捨てる。そういうところじゃないだろうか。調べたら、ほぼ半分がそうしたもので、残る半分が家庭からのロスだった。この「食品産業のロス」は、確かに減らせばそのまま食料の消費減につながる。

だが、家庭での食品ロスの多くは、「食べきれなかった」ものだ。買ったはいいが気がついたら賞味期限切れになっていた、作りすぎて余ってしまった、食べてみたら激不味で捨てた、そういうものだろう。更には「本来食べられる部分まで厚く皮を向いたり切り捨てたりしている」というものも含まれているという。

これって、計画的に食料を購入していても出てくる部分なんだよね。それに「食べられる部分まで捨てている」というのは、食品の安全性の問題も絡んでくる。農薬まみれの野菜を皮ごと食べれば、ロスは減らせるが健康に影響がでるかも知れない。

そもそも、家庭での食品ロスを減らそう!という政府広告の裏には、「ロスがある家庭」と「ロスのない家庭」を比べて、後者のほうが計画的に無駄なく食料を購入し利用している、という思い込みがある気がする。だが、それは間違いだ。両者の違い、それは「ロスのない家庭は、お母さんが残り物を全部食べている」というだけだったりしないか? 消費する量はどちらもたいして変わらず、ただ「全部食べるか、残すか」の違いだけだったりしないか?

そうしたことを考えると、「家庭での食品ロス」が、そのまま「国内の食料消費量」につながるわけではなく、いわんやそれがそのまま「アフリカの飢えに苦しむ人」へ回されるわけではない。風が吹けばオケ屋が儲かる以上にそれらはつながらない。

にも関わらず、その「よく考えてみればほとんどつながらない」はずのものが、まるで当たり前のように「家庭での食品ロスを減らしてアフリカの人々を救済しよう」的に使われたりする。僕が感じていたのは、この違和感だったのだ。

もちろん、世界的な食糧事情の悪化は大きな問題だ。だが、それは「家庭での食品ロス」程度で解決するようなシロモノではない。最大の問題は人口爆発であり、異常気象であり、作付可能な地域の減少であり、バイオエタノールなど別用途への転用であったりするんじゃないか? 家庭での食品ロスというのは、全体の中ではほとんど無視できる程度の量なのではないのか? それよりもっと重大な、やるべきことがあるはずなのに「それらは面倒臭い」から、一番手っ取り早い「家庭の食品ロス」でいこうか、となったんじゃないのか。

「これが正しいんだから黙っていわれた通りのことを続けていれば明るい未来がやってくるんだ」みたいな話を、人はいつまで信じ続けることができるのだろう。もう僕は無理だ。「信じる」のではなく「理解する」ことでしか僕は前に進めない。

政府広報で「家庭での食品ロスをなくそう」というのなら、世界での食料事情がどうなっているか、食料不足の原因となっているものとしてはどんなものがあり、それらを解決することでどれだけ食糧事情が好転するのか、そうしたトータルな話をきちんとしたデータを元にしてほしい。その上で、「日本における家庭の食品ロスを減らすことにより世界の食糧事情にどのような影響があるか」を分析し説明してくれれば、「なるほど、確かに微々たる力にしかなれないかも知れないが、やらないよりはいいな」とわかる。よし、やろう!と思える。

最初から「微々たるものでしかない」ことを承知の上で「やる」と判断することと、微々たるものであることを隠し針小棒大に「これで万事解決!」のように騙してやらせるのとでは、大きな違いがあるのだ。


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