太陽光発電という「蜘蛛の糸」

少し前になるが、9月7日の読売新聞に「再生エネ発電 買い取り制の不備を見直せ」という社説が出ていた。太陽光発電の電力買取制度がスタートしてから今年の5月までに2240万キロワットの発電設備が申請され認定を受けているのだが、実際に発電しているのは300万キロワットしかない、という。実際に発電設備を作れるかどうかもわからないまま、「とりあえず申請しとけ」という業者が山のように群がったためだろう。

それもこれも、「高値で買い取る」という買取制度が崩壊する前に、吸えるだけ甘い汁を吸っておこう、という感覚なのだろう。

福島の事故以来、原子力発電に関する意見主張は山のように新聞紙面で見ることができた。が、それに代わるべきものとして、菅総理時代に脚光を浴びたはずの「太陽光発電」については、その後、あまり新聞紙面で見ることがないのを不思議に思っていたのだけど、そういうことだったのだ。つまり、「誰も作ってない」から新聞にも出てこなかったのだ。

原発の是非についてはずいぶんと幅広く声が聞かれるようになった。もうそろそろ、自然エネルギー、中でも「太陽光発電」について、もう少し議論を深める時期が来ているんじゃないだろうか。

僕は原発についてはいまだに「わからない派」にいる。理屈としては「古い原発を廃止し、安全で効率的な新しい原発を作る」という考え方にほぼ傾いているのだけど、感情論として「ここまで来たら原発は廃止するしかないだろう」とも思っている。この「考える」と「思う」のどちらを重視すべきか、というと、これはもう「わからない」としかいいようがない。

ただ、おそらく現状で受け入れられるだろう方向としては、「とりあえずそれほど古くなく安全な原発を少しずつ再稼働して、後は国の行く末を見ながら様子見」というあたりだろうとは思う。「問題先送り」は、偉大なる先人の知恵だ。(←おい)

が、しかし、太陽光発電に関してははっきりしている。「このへんでやめろ」だ。個人でちょこちょことつけて小銭を稼ぐ、ぐらいならまぁいいが、メガソーラー発電をあちこちに建てて「太陽光発電を我が国の発電設備の柱に」となると、かんべんしてくれと思う。理由はいくつかある。

・ソーラーパネル生産の環境破壊
直接的には、「太陽光発電は環境に悪い」というのがある。現在、猛烈な勢いで広まっているソーラーパネルは大半が中国製だ。とにかく安い。だから真っ当なメーカーは歯がたたない。太陽光発電を推進するドイツのメーカーが中国企業に押されて倒産したのは象徴的な出来事だったろう。

そしてこの中国製ソーラーパネルの生産は、猛烈な環境汚染と環境破壊を生み出している。中国の工場周辺では深刻な公害被害が出ている。またソーラーパネルで使われるシリコン結晶を作るためには膨大な熱が必要だが、中国では石炭や熱帯雨林を伐採して生産を行っており、生産の拡大とともに熱帯雨林の減少と大気汚染が深刻な問題となりつつある。

既にさまざまな新しい太陽光発電の技術が研究されているが、それらが実用となるのはまだ先だし、なったとしても圧倒的にコストの低い「中国人労働者と石炭による生産」は続くだろう。そのことを考えると、現状で太陽光発電を普及させるのはまずい。

・ソーラーパネル設置によるヒートアイランド
都会では夏になるとヒートアイランド現象が深刻になりつつあるが、なぜソーラー発電設備のヒートアイランド現象があまり話題にならないのか(←まだメガソーラーがほとんどないからだろ)。ソーラーパネルは、発電時、80度近くになる。メガソーラーというのは、いわば「ヒーターを一面に並べたようなもの」で、そのあたりの気温は周辺よりぐっと高くなる。現時点でさえ、例えばゲリラ雷雨などの気象以上の要因の一つに「都心部の気温上昇」があるのでは、といわれているのに、日本中にそんなものを作って大丈夫なのか。

これは住宅でも同じで、例えば街中の家という家の屋根にソーラーパネルが設置されるようになったら、その町の平均気温は確実に上がる。暑いぞぉきっと。

・バックアップ発電である火力発電の問題
これがもっとも深刻な問題だろう。太陽光発電は、晴天でもっとも発電量が高いときと雨天などで発電量が低下するときで10倍ぐらい発電量が違う。これが個人の家のソーラーパネル程度なら大した問題にはならないが、メガソーラーぐらいになると、発電量が減った時にそれを補うための発電設備が必要となる。

問題は、それに対応できるのが「火力発電」しかない、という点だ。原子力は小回りがきかない。細かに発電量を調整したりできない。つまり現状では、太陽光発電は、「太陽光発電による発電量とほぼ同じだけの火力発電所を用意し、いつでもそれが使える状態になっている」ということでないと使えないのだ。

「スマートグリッドとかあるじゃん。そうやって発電してる地域と電気を融通しあってれば大丈夫でしょ? 現にドイツとかうまくやってるじゃん」

スマートグリッドは、例えば米国のように広大な面積の国であれば実現できるだろう。だけど日本はダメだ。日本のような小さな国土では、「国土すべてが雨で発電できない」なんてことが当たり前にあるからだ。またドイツの自然エネルギー政策がうまくいってる(わけじゃないんだけど)のは、となりに「原発大国フランス」があるからだ。要するに、「天気が悪かったらフランスから電気を買ってる」のだ。フランスというバックアップ電源大国があるからこそドイツは「自然エネルギー大国でござい」とでかいツラしてられるんだよね。――ていうか、西日本と東日本の間での電力融通でさえ思うようにならないってのに「日本中をスマートグリッド化」なんて一体何年かかると思ってるんだ?

現状で、原発をすべて停止したことにより、その代替として動かしている火力発電の燃料のために、国は年間1兆円を支払っている。更には太陽光発電普及のため、政府は通常の電力よりもはるかに高い価格で太陽光発電による電気を買い取っており、その費用も今後増え続けるだろう。太陽光発電が今以上に広まったら果たしてどこまで発電費用がかかることになるのか。その時、電気代はどこまで高騰するのか。企業の競争力はどうなる? あれこれ考えると、とても「日本中、みんなびんぼーになってもいい、失業率が10%を超え、そこらじゅうで企業が倒産し、平均年収が300万を割り、電気代が月5万円を超えてもいいから太陽光発電を」なんてとても思えなくなるのだ。


――とりあえず、この3つの問題がどう解決するか?を考えないことには、僕はとても太陽光発電には賛成できない。といっても、これはあくまでメガソーラーの話で、個人レベルで「屋根にソーラーパネルを設置」というのは別だ。太陽光発電の問題の多くは「規模」の問題だ。「一部の人間が、大勢に影響ない範囲内でちまちまやってる分には問題ない」ということなのだ。だから個人でやってる人には反対しない。

ただし。我が家では太陽光発電はやらない。

なぜやらないか。それは多分、精神的な問題なんだ。僕は、こうした社会的なつながりのある問題に対して、「自分だけが良ければいい」と割りきって考えることができないのだ。「自分だけ利益を得られれば、それが最終的に全体の不利益につながるとしても全然オッケー、オレだけ儲かればいいじゃん」という考え方がどうしてもできない人なのだ。

確かに自分一人だけなら、補助金制度で補助をしてもらい、買取制度がそのまま温存されて高い価格で電気を買い取ってもらえれば助かるかもしれない。十数年でもとが取れる、そこから先は丸儲けだ、とそろばんを弾くかもしれない。実際、頻繁にやってくる業者たちは口を揃えてこういう、「今ならオトクですよ」と。

だが、「それならオレも」と、われもわれもとやり始めたら、いずれはメガソーラーと同じ問題にたどり着く。太陽光発電による多量の低品質な電力は、火力発電を今以上に稼働させ大気を汚染させることになるだろう。我勝ちに取り付けるソーラーパネルは、地球上から大半の熱帯雨林を奪い、温暖化を促進させるだろう。太陽光パネル設置のために、年間、どれだけの作業者が転落事故で死亡しているか知っているだろうか(ほぼ毎年、50人前後が死亡している)。

それは、「蜘蛛の糸」のカンダタだ。最初に糸に気づき、飛びついた人間だけはきっと天国まで辿り着けるだろう。だがすぐ後には無慮数の人間が続いている。自分だけ糸が切れる前に天国まで辿り着けばいい、そう思える人は、今すぐ太陽光発電を始めればいい。

僕は、糸を握らない。

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