女性の権利が保証された、子供が生まれない社会を僕らは選ぶのか?
東京都議会で塩村文夏都議の発言中に「自分が早く結婚しろ」などの野次が投げつけられた件の波紋が未だにじわじわと広まっている。
この発言は、まずい。まずいってことは誰にだってわかる。が、そこからの受け止め方がけっこう割れている感じがする。
この騒ぎの背景にあるのが、「女性差別撤廃・地位向上」と、そして「少子化問題」だ。「セクハラ野次→女性蔑視→だからいつまでたっても安心して子供を産もうって思えないんだよ」といった流れから、余計に「単なる野次で終わらせるかボケ!」という空気が広まりつつあるのだと思う。「これは、女性の権利の問題なんだ!」と声高に叫ぶ人々の姿が目に浮かぶ。
そこに、何か微妙な違和感がある。
もちろん、僕も今の世の中が女性にとっていい世の中だなんてこれっぽっちも思わない。女性蔑視はなくすべきだし、女性の地位向上はこれからの社会で必須だと僕も思う。――ただね、根本的な話なんだけど。そういう「女性の差別をなくし男性と同じように暮らせる社会」を目指すことを、僕らは選択しただろうか。
「お前が早く結婚しろ」
「お前が早く子供を産め」
……これって、本当に「問題発言」なんだろうか? 「当たり前だろ」という人。いや、そうなんだけど、これらの発言が女性蔑視などととられず、「このぐらい当たり前だろ、女なんだから子供を産んで一人前だろうが」と誰もが普通に思う社会、というのも当然あるのだよね。おそらく昔の日本がそうだったわけだ。
果たして、僕らはどちらを選ぼうとしているのか。本当に「女性の権利が保証された社会」を選ぼうと、僕らは、本気で思っているだろうか。
……たとえそれが、どのような犠牲を払うことになったとしても。
もちろん、結婚だの妊娠出産だのといったことについて、他人にとやかく言う資格などない。「結婚しろ」だの「産め」だのといった発言はまったくの「余計なお世話」であって、そこいらのオヤジが軽々に口にすべきものじゃない。それは確かだ。
ただね。今の女性が、あまりに「出産」のことを考えてなさすぎるのも確かじゃないかと思うのだ。
妊娠出産には、「肉体年齢」という物理的な要因が大きく立ちはだかる。これは、女性蔑視や女性の地位向上がどんなに改善されようが決して変わらない現実だ。だから、(「早く結婚しろ」は余計なお世話だが)「早く子供を産め」は、ある意味、その通りな意見なのだ。もちろん、「お前にいわれる筋合いはない」というのは確かだけど。
「早く子供を産め」といわれ、「いわれなくったって私は○○歳までに◯人の子供を生もうと人生計画を立ててるんです!」と反論できる女性はどれぐらいいるんだろうか。「大勢子供を産みたい」という女性と、「産みたくない」という女性、「産みたいけどせいぜい1人か2人かな」と考える女性。それらを合計して「女性の希望による出生率」を計算してみたら、おそらくその時点で人口を維持するために必要な値を割り込んでいるのではないか。
少子化問題は、現在の日本においてもっとも大きな課題の一つだ。が、少子化問題については、「どう解決するか」を議論することは多いが、「そもそも、なぜ少子化になったのか」をとことん議論してこなかった気がする。いや、もっといえば、「なぜ、昔は少子化問題はなかったのか」をきちんと考えてこなかったのではないか。
なぜ、昔は少子化問題はなかったのか。それは、女性が「子供を生み子孫を残すための奴隷」だったからではないか。すなわち、「子供を産んで育て、国が栄える」という考え方は、女性の犠牲を前提にしなければ成り立たないものだったのではないか。
もちろん、両者を兼ね備えた解決策もあるのかもしれない。だが少なくとも、そんな妙案はそう簡単に浮かばない。実際問題、現在、先進国で少子化を完全に解決できた国はない。少子化問題解決の先頭を切っているフランスでさえ、出生率は2.01で、人口置換水準(これだけ生まれれば人口は減らずに維持できるというライン)の2.07をわずかに下回っている。他のヨーロッパ諸国は軒並み2.0を割り込んでいる。そして人口急増しているのは、すべて女性の権利が大きく侵害されている途上国だ。これらのことは、暗に「女性の権利を認めれば、子供は生まれなくなる」ということを示してはいまいか?
もしそうならば、少子化問題を考えるとき、僕らは二者択一を迫られることになる。すなわち、「女性の権利が保証された、子供が生まれない社会」か、「女性の犠牲の上に成り立つ、子供が大勢生まれ育つ社会」か、そのどちらを選ぶのか?ということを。
「いや、両方を一挙に解決する方法があるはずだ!」という声も当然あるだろう。だが少なくとも、今の社会で両者を完全に解決できている国は存在しない。少子化解決の妙案・特効薬が今の時点で存在しない以上、僕らはそろそろ覚悟を決めなければならない。
女性が社会の中で男性と同じように認められる平等な社会を目指すのであれば、「少子化により社会が衰退すること」を受け入れるしかない。僕らは、次第に人口が減少し衰退する未来を受け入れなければならない。それを遅らせ、変化を小さく抑えることは可能だが、解決することは今の僕らにはできない。そのことを踏まえて決断しなければならない。
ということで。冒頭の問題提起に戻ることになる。
果たして、僕らはどちらを選ぼうとしているのか。本当に「女性の権利が保証された社会」を選ぼうと、僕らは、本気で思っているだろうか。
……それが、どのような犠牲を払うことになったとしても。
この発言は、まずい。まずいってことは誰にだってわかる。が、そこからの受け止め方がけっこう割れている感じがする。
この騒ぎの背景にあるのが、「女性差別撤廃・地位向上」と、そして「少子化問題」だ。「セクハラ野次→女性蔑視→だからいつまでたっても安心して子供を産もうって思えないんだよ」といった流れから、余計に「単なる野次で終わらせるかボケ!」という空気が広まりつつあるのだと思う。「これは、女性の権利の問題なんだ!」と声高に叫ぶ人々の姿が目に浮かぶ。
そこに、何か微妙な違和感がある。
もちろん、僕も今の世の中が女性にとっていい世の中だなんてこれっぽっちも思わない。女性蔑視はなくすべきだし、女性の地位向上はこれからの社会で必須だと僕も思う。――ただね、根本的な話なんだけど。そういう「女性の差別をなくし男性と同じように暮らせる社会」を目指すことを、僕らは選択しただろうか。
「お前が早く結婚しろ」
「お前が早く子供を産め」
……これって、本当に「問題発言」なんだろうか? 「当たり前だろ」という人。いや、そうなんだけど、これらの発言が女性蔑視などととられず、「このぐらい当たり前だろ、女なんだから子供を産んで一人前だろうが」と誰もが普通に思う社会、というのも当然あるのだよね。おそらく昔の日本がそうだったわけだ。
果たして、僕らはどちらを選ぼうとしているのか。本当に「女性の権利が保証された社会」を選ぼうと、僕らは、本気で思っているだろうか。
……たとえそれが、どのような犠牲を払うことになったとしても。
もちろん、結婚だの妊娠出産だのといったことについて、他人にとやかく言う資格などない。「結婚しろ」だの「産め」だのといった発言はまったくの「余計なお世話」であって、そこいらのオヤジが軽々に口にすべきものじゃない。それは確かだ。
ただね。今の女性が、あまりに「出産」のことを考えてなさすぎるのも確かじゃないかと思うのだ。
妊娠出産には、「肉体年齢」という物理的な要因が大きく立ちはだかる。これは、女性蔑視や女性の地位向上がどんなに改善されようが決して変わらない現実だ。だから、(「早く結婚しろ」は余計なお世話だが)「早く子供を産め」は、ある意味、その通りな意見なのだ。もちろん、「お前にいわれる筋合いはない」というのは確かだけど。
「早く子供を産め」といわれ、「いわれなくったって私は○○歳までに◯人の子供を生もうと人生計画を立ててるんです!」と反論できる女性はどれぐらいいるんだろうか。「大勢子供を産みたい」という女性と、「産みたくない」という女性、「産みたいけどせいぜい1人か2人かな」と考える女性。それらを合計して「女性の希望による出生率」を計算してみたら、おそらくその時点で人口を維持するために必要な値を割り込んでいるのではないか。
少子化問題は、現在の日本においてもっとも大きな課題の一つだ。が、少子化問題については、「どう解決するか」を議論することは多いが、「そもそも、なぜ少子化になったのか」をとことん議論してこなかった気がする。いや、もっといえば、「なぜ、昔は少子化問題はなかったのか」をきちんと考えてこなかったのではないか。
なぜ、昔は少子化問題はなかったのか。それは、女性が「子供を生み子孫を残すための奴隷」だったからではないか。すなわち、「子供を産んで育て、国が栄える」という考え方は、女性の犠牲を前提にしなければ成り立たないものだったのではないか。
もちろん、両者を兼ね備えた解決策もあるのかもしれない。だが少なくとも、そんな妙案はそう簡単に浮かばない。実際問題、現在、先進国で少子化を完全に解決できた国はない。少子化問題解決の先頭を切っているフランスでさえ、出生率は2.01で、人口置換水準(これだけ生まれれば人口は減らずに維持できるというライン)の2.07をわずかに下回っている。他のヨーロッパ諸国は軒並み2.0を割り込んでいる。そして人口急増しているのは、すべて女性の権利が大きく侵害されている途上国だ。これらのことは、暗に「女性の権利を認めれば、子供は生まれなくなる」ということを示してはいまいか?
もしそうならば、少子化問題を考えるとき、僕らは二者択一を迫られることになる。すなわち、「女性の権利が保証された、子供が生まれない社会」か、「女性の犠牲の上に成り立つ、子供が大勢生まれ育つ社会」か、そのどちらを選ぶのか?ということを。
「いや、両方を一挙に解決する方法があるはずだ!」という声も当然あるだろう。だが少なくとも、今の社会で両者を完全に解決できている国は存在しない。少子化解決の妙案・特効薬が今の時点で存在しない以上、僕らはそろそろ覚悟を決めなければならない。
女性が社会の中で男性と同じように認められる平等な社会を目指すのであれば、「少子化により社会が衰退すること」を受け入れるしかない。僕らは、次第に人口が減少し衰退する未来を受け入れなければならない。それを遅らせ、変化を小さく抑えることは可能だが、解決することは今の僕らにはできない。そのことを踏まえて決断しなければならない。
ということで。冒頭の問題提起に戻ることになる。
果たして、僕らはどちらを選ぼうとしているのか。本当に「女性の権利が保証された社会」を選ぼうと、僕らは、本気で思っているだろうか。
……それが、どのような犠牲を払うことになったとしても。