「焼身自殺を肯定するのは民主主義の否定」という発言は民主主義の否定だ

新宿で、集団的自衛権に反対する男性が焼身自殺をはかるという事件があった。これについていろいろと擁護論やその反論などがなされている。その中で、アゴラでちょっと目にとまるコラムがあった。

新宿焼身自殺未遂を肯定するのは民主主義の否定

論旨は明快だ。日本は民主主義の国である。自分の意見が通らないからといって、投票以外の暴力的なもので意見を通そうというのは民主主義の否定であり、テロにほかならない。こんなことを許してはならない。というような話だ。

「民主主義は守らねばならない。力によって民主主義を否定しようとすることは断固阻止しなければならない」――この基本的な考え方は、誰だって賛同する。僕だってそれは理解できる。が、その誰もが受け入れられる考え方を、実際に適用しようとすると、かくも不可解な解釈ができあがってしまう。形而上と形而下の間には抗いがたい境界があるってことだろう。

彼の意見には、重要なポイントが2つある。

1つは、「焼身自殺はテロなのか?」という点。

そしてもう1つは、「そもそも、投票(=多数決)は民主主義なのか?」という点だ。


まず、「焼身自殺はテロか?」という点について。

彼は、焼身自殺を「言論でなく、力で自分の意見を通そうとする行為=テロに通ずるものがある」と解釈した。これはすなわち、焼身自殺という行為が非常に力を持つものであることを彼が感じたからだろう。

だが、これは別の見方をすることもできる。すなわち、「焼身自殺は、表現の一種である」と。

民主主義では、自らの意見を表明する権利は等しく認められている。それをどのような形で表現するものであっても、それが違法性を持たず他人を害することがない限り認められる。

新宿という人が大勢集まる場所での焼身自殺は、まぁ確かに他人に危害が及ぶ可能性もあるわけで、違法性がないとはいえないかも知れない。が、少なくともその目的は「自分に危害を加えること」だけであり、他人に危害を加えようという意図がないことは誰にでもわかる。

他人に危害を加える意図がない行為を「テロ」とは呼べないのではないか。たとえそれがどんなに過激な行為であろうと、他人に害を与えようとまったく思わない行為は、テロとは一線を画すものであるはずだ。

焼身自殺は、日本では滅多に見られないが、他国では時折見られる。中国で迫害を受ける少数民族が焼身自殺による抗議を行う報道は日本でもされていたはずだ。これらは、果たして「テロ」だろうか。むしろ、「命を賭しての意見表明」と考えるのが普通ではないか。

であるならば、新宿の焼身自殺も、「日本の政治への抗議」という意見表明と考えるべきだ。意見の表明は、それがどんな過激なやり方であれ、法に触れず他人に危害が及ばない範囲で認められるべきものだ。


そしてもう1点、「投票=多数決は、民主主義か?」という点について。

昨今、投票率が低下したためか、政治に興味を持たない世代が増えたためか、「選挙に行こう、投票に行こう、それこそが民主主義だ」といった発言がけっこう見られるようになった。その事自体は、いいことだと思う。大勢が投票に行くことで政治は変わると思う。

ただ、それは「投票こそが民主主義である」ということではない。投票は、「民主主義の一部分」でしかない。投票が民主主義の全てではないし、我々が取れる行為は投票することだけというわけでもない。

むしろ、投票は民主主義の中で「もっとも民主主義らしくない行為」なのだ。

民主主義の基本、それは「多数決で決まったことに少数派は従わなければいけない」ということでは断じてない。

「多数派も少数派も関係なく、あらゆる人々の意見を等しく尊重しなければならない」ということであったはずだ。

多数派が全てを決める。それは「数の暴力」によってすべてを決めるという、「民主主義の否定」に他ならない。本当の民主主義ならば、投票などせず、「すべての人間が納得できるまでとことん話し合う」という方法がベストのはずじゃないか? 1億2千万人、すべての人間が納得できるまで話しあう、それが本当の民主主義だ。

だがもちろん、実際問題としてこんなことはやってられない。このために、やむをえず、民主主義においても「一番手っ取り早い方法」として、投票による多数決というもっとも民主主義らしくない方法が取られているにすぎない。

だからこそ、投票という反民主的な行為により自分たちの意見を通した多数派は、通らなかった少数派の意見に最大限耳を傾けねばならない。そうすることで、多数決という反民主主義的行為の正当性を少しでも保つことができるのだ。「投票で勝ったから」とばかりに、敗れた少数派の意見を一切無視して全てのことを運んでしまったら、それは民主主義ではなくなってしまうのだ。

そして投票で敗れた少数派も、本当の民主主義国家であれば、投票以外のさまざまな方法で自分たちの意見を表明し、そしてその考えが受け入れられるようにしていくことができる。デモ、街頭集会、署名活動、ネットなどによる意見表明などなど、こうしたさまざまな行為により人々に訴えることが今は可能だ。そうした活動が受け入れられる社会でなければ、民主主義とは呼べないのだ。

であるならば。

「焼身自殺」という「自らの意見表明」を「テロだ」と断じ、「文句があるなら投票にいけ」と投票行為以外の意見表明を禁じるかのような発言こそ、「民主主義の否定」に他ならないのではないか? それがどんなに不快であっても、そのことが違法であったり他人を害するものでない限り、己の意見を表明するためのどのような行為も禁ずることがあってはならないのだ。


ちなみに、僕は焼身自殺を肯定しているわけではないので念のため。だが否定するなら、「命は大切だ」といえばいい。それ以外に、焼身自殺を否定すべき理由など僕には見当たらない。

日本における焼身自殺という形での自己主張は、僕は何の効果もない愚行だと思うが、しかし愚行をしてはならないという法はない。自分の命の捨て方を自分で決める権利は誰にも等しくある。「破滅するのは私の自由」といったのはフランソワーズ・サガンだったが、命を粗末にするのもその人の自由だからね。


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