しばらく前になるが、引っ越しをした。
千葉県市原市から、県内の佐倉市へと生活拠点を移したのだ。
人は、さまざまな理由で転居をする。家族が増えた・減った、家が古くなった、仕事の関係、子供の進学、等々。では、我が家の場合の「転居した理由」は、何か。
「すてきな家を見つけて買っちゃったから♥」
……だったりする。
はっきりいって、僕個人は引っ越すつもりなど更々なかった。
市原市は、千葉の中でも「ヤンキーの産地」として有名なところだ。我が家の回りも、子供の同級生の父兄も、とにかくヤンキーが多い。街を歩けば当たり前のようにジャージ姿で人々が行き来する。シャコタンや何やら角の生えた改造車が普通にあたりを走り回る。知性も教養もまるでないが、さっぱりとした性格で本音で生きる職人タイプの人間が多い。
生まれ育った街ということもあって僕的にはなかなか住みやすかった。加えて、住まいはほとんど自分が現場監督と化して建てた愛着あるログハウスである。が、妻は「一刻も早く、1メートルでも遠くに移りたい」というのが本音であった。何事にもストレートだがとにかくガサツな市原という街は、妻には耐え難いものだったようだ。
そこで、「ログハウスだと歳とってからメンテナンスが辛くなる」「子供の進学先でいいところがまわりにない」といった、もっともらしい理由を持ちだして、引越し先となる物件をひたすらネットで物色して回るようになった。
はっきりいて、また「新たに家を注文住宅で建てる」金などない。引っ越すとしたら、今住んでいる家を売って、そのお金プラスアルファで済むところを探すしかない。が、家というのは年々価値が下がってくる。既に8年も住んでいる家が果たしていくらで売れるものか。また、建売や中古の物件で、今のログハウスより素敵な家など見つかるものなのか。今のログハウスは、おそらく当時、我が家が手に入られる範囲内で「最高の家」だったのだ。
これらの条件をクリアして「これだ、この家がいい!」と家族みんなが飛びつくような素敵な家を見つけるというのは、らくだを針の穴に通すより難しいことだと思う。「まぁ、一通り探してみれば、こりゃ無理だってことがわかるだろう」と内心思いながら、僕は妻の家探しを放置した。妻はあちこち良さそうな物件を見つけ、実際に見に行ったりもしたのだが、正直、今住んでいるログハウスを手放してまで欲しいと思える家などなかった。
それが。運命のいたずらというか、神はさいころ遊びが大好きというか、出会ってしまったのだ。ある日、ある時。妻がネットでとんでもない物件を探しだしてしまったのだ。
とにかく斬新。とにかく美しい。今まで見たことがないほどに研ぎ澄まされた設計。一般住宅でこんなすぐれた設計など見たことがない(……いや、ン千万~億はするような豪邸ならあるだろうけど、ワシらド庶民が手に入れられるようなところでは、絶対にない)ような素晴らしい家。
が、それは実は「売り家」ではなかった。とある建設会社のモデルハウスだったのだ。「モデルハウスなら見られるはずだ」「ともかく見てみよう」というわけで、すぐさま連絡。車で1時間半かけて出かけてみた。
実物は、想像した通り、いや想像以上に素敵だった。が、おそらく我が家以外の人間は、何がいいのかまるでわからないだろう。とにかく普通の家ではないのだ。なにしろ、部屋が一つもない。細長い通路を折りたたんだような家で、通路の一部をカーテンで区切ってプライベートスペースにしているという程度。プライバシーなんてまるでない。
普通の家庭なら「こんな家、とても暮らせない!」と思うだろう(実際、何人か気に入った人がいたようだが、家族の猛反対にあってすべて撃沈したらしい)。だが、既に「2階建てワンルームハウス」ともいえるログハウスに暮らしている我が家の住人にとっては、今より若干、風通しがよくなる程度に過ぎなかった。部屋がない? 壁がない? 仕切りはカーテンの布一枚? ノープロブレム。まったく問題なし!
いろいろ調べてみると、どうやらこのモデルハウスを設計したのは、かなり著名な建築事務所であることがわかってきた。なにしろ検索すると、手がけた作品としてヨーロッパの美術館など世界的にも有名な建築がいくつも出てくるところなのだ。そこが、「小さく区切られた区画が並ぶような狭い住宅街における理想的な住宅とはいかにあるべきか?」ということで建築会社とコラボし実験的に作ったモデルハウスがその家なのだった。
検索すると、海外の建築関係の専門サイトなどでこの家の写真がバシバシ出てくる。どうやら世界中の建築関係者の間では知られる建物らしい。まったく、えらいものを妻は探し当ててしまったようだ。こんなの、まともに作ってもらおうとしたら設計料でいくらかかるのか想像もできないぞ。いや、そもそもワシらのようなド庶民など相手にしてもらえるかどうか。
そんなとんでもないモデルハウスが、すぐ目の前にある。すぐさま、案内していただいた建設会社の会長に交渉し、「ものすっっっっっごく欲しいけど、金、ないんです」「ま……まぁ、モデルハウスとして何年も使ってきたから、払えるだけでいいよ……」ということで超激安(=我が家が出せる最大限の価格)で売っていただけることで契約成立。慌ただしい引っ越しとなったのであった。
この家は、佐倉市にある。この「佐倉市」というのも、我が家ではなんとなく因縁を感じさせるところだ。実をいえば、市原にログハウスを建てるとき、新居の建築場所として妻がずっと「ここがいい!」と言い続けてきたのが佐倉市だった。結局、そのときは市原にある実家の土地にそのまま建てることになったものの、8年たって妻の希望の地へと移ることになったのだった。
佐倉は、武家の街だ。佐倉藩として長い歴史を持つ街であり、堀田家の居城である佐倉城を有する街である。そして意外なことに、芸術の街でもある。美術館や音楽ホールがあり、毎月のように市民レベルでの発表会などがあちこちで開かれていたりする。
歴史と文化の街・佐倉。ヤンキーの街・市原とどちらが我が家の家風(?)にあうか、といえば、言うまでもない。長年、市原に暮らしてきたが、はっきりいって「ヤンキーは大キライ」なのだ。
というわけで、この佐倉の地で、新しい暮らしが始まった。果たしてどうなることか。
千葉県市原市から、県内の佐倉市へと生活拠点を移したのだ。
人は、さまざまな理由で転居をする。家族が増えた・減った、家が古くなった、仕事の関係、子供の進学、等々。では、我が家の場合の「転居した理由」は、何か。
「すてきな家を見つけて買っちゃったから♥」
……だったりする。
はっきりいって、僕個人は引っ越すつもりなど更々なかった。
市原市は、千葉の中でも「ヤンキーの産地」として有名なところだ。我が家の回りも、子供の同級生の父兄も、とにかくヤンキーが多い。街を歩けば当たり前のようにジャージ姿で人々が行き来する。シャコタンや何やら角の生えた改造車が普通にあたりを走り回る。知性も教養もまるでないが、さっぱりとした性格で本音で生きる職人タイプの人間が多い。
生まれ育った街ということもあって僕的にはなかなか住みやすかった。加えて、住まいはほとんど自分が現場監督と化して建てた愛着あるログハウスである。が、妻は「一刻も早く、1メートルでも遠くに移りたい」というのが本音であった。何事にもストレートだがとにかくガサツな市原という街は、妻には耐え難いものだったようだ。
そこで、「ログハウスだと歳とってからメンテナンスが辛くなる」「子供の進学先でいいところがまわりにない」といった、もっともらしい理由を持ちだして、引越し先となる物件をひたすらネットで物色して回るようになった。
はっきりいて、また「新たに家を注文住宅で建てる」金などない。引っ越すとしたら、今住んでいる家を売って、そのお金プラスアルファで済むところを探すしかない。が、家というのは年々価値が下がってくる。既に8年も住んでいる家が果たしていくらで売れるものか。また、建売や中古の物件で、今のログハウスより素敵な家など見つかるものなのか。今のログハウスは、おそらく当時、我が家が手に入られる範囲内で「最高の家」だったのだ。
これらの条件をクリアして「これだ、この家がいい!」と家族みんなが飛びつくような素敵な家を見つけるというのは、らくだを針の穴に通すより難しいことだと思う。「まぁ、一通り探してみれば、こりゃ無理だってことがわかるだろう」と内心思いながら、僕は妻の家探しを放置した。妻はあちこち良さそうな物件を見つけ、実際に見に行ったりもしたのだが、正直、今住んでいるログハウスを手放してまで欲しいと思える家などなかった。
それが。運命のいたずらというか、神はさいころ遊びが大好きというか、出会ってしまったのだ。ある日、ある時。妻がネットでとんでもない物件を探しだしてしまったのだ。
とにかく斬新。とにかく美しい。今まで見たことがないほどに研ぎ澄まされた設計。一般住宅でこんなすぐれた設計など見たことがない(……いや、ン千万~億はするような豪邸ならあるだろうけど、ワシらド庶民が手に入れられるようなところでは、絶対にない)ような素晴らしい家。
が、それは実は「売り家」ではなかった。とある建設会社のモデルハウスだったのだ。「モデルハウスなら見られるはずだ」「ともかく見てみよう」というわけで、すぐさま連絡。車で1時間半かけて出かけてみた。
実物は、想像した通り、いや想像以上に素敵だった。が、おそらく我が家以外の人間は、何がいいのかまるでわからないだろう。とにかく普通の家ではないのだ。なにしろ、部屋が一つもない。細長い通路を折りたたんだような家で、通路の一部をカーテンで区切ってプライベートスペースにしているという程度。プライバシーなんてまるでない。
普通の家庭なら「こんな家、とても暮らせない!」と思うだろう(実際、何人か気に入った人がいたようだが、家族の猛反対にあってすべて撃沈したらしい)。だが、既に「2階建てワンルームハウス」ともいえるログハウスに暮らしている我が家の住人にとっては、今より若干、風通しがよくなる程度に過ぎなかった。部屋がない? 壁がない? 仕切りはカーテンの布一枚? ノープロブレム。まったく問題なし!
いろいろ調べてみると、どうやらこのモデルハウスを設計したのは、かなり著名な建築事務所であることがわかってきた。なにしろ検索すると、手がけた作品としてヨーロッパの美術館など世界的にも有名な建築がいくつも出てくるところなのだ。そこが、「小さく区切られた区画が並ぶような狭い住宅街における理想的な住宅とはいかにあるべきか?」ということで建築会社とコラボし実験的に作ったモデルハウスがその家なのだった。
検索すると、海外の建築関係の専門サイトなどでこの家の写真がバシバシ出てくる。どうやら世界中の建築関係者の間では知られる建物らしい。まったく、えらいものを妻は探し当ててしまったようだ。こんなの、まともに作ってもらおうとしたら設計料でいくらかかるのか想像もできないぞ。いや、そもそもワシらのようなド庶民など相手にしてもらえるかどうか。
そんなとんでもないモデルハウスが、すぐ目の前にある。すぐさま、案内していただいた建設会社の会長に交渉し、「ものすっっっっっごく欲しいけど、金、ないんです」「ま……まぁ、モデルハウスとして何年も使ってきたから、払えるだけでいいよ……」ということで超激安(=我が家が出せる最大限の価格)で売っていただけることで契約成立。慌ただしい引っ越しとなったのであった。
この家は、佐倉市にある。この「佐倉市」というのも、我が家ではなんとなく因縁を感じさせるところだ。実をいえば、市原にログハウスを建てるとき、新居の建築場所として妻がずっと「ここがいい!」と言い続けてきたのが佐倉市だった。結局、そのときは市原にある実家の土地にそのまま建てることになったものの、8年たって妻の希望の地へと移ることになったのだった。
佐倉は、武家の街だ。佐倉藩として長い歴史を持つ街であり、堀田家の居城である佐倉城を有する街である。そして意外なことに、芸術の街でもある。美術館や音楽ホールがあり、毎月のように市民レベルでの発表会などがあちこちで開かれていたりする。
歴史と文化の街・佐倉。ヤンキーの街・市原とどちらが我が家の家風(?)にあうか、といえば、言うまでもない。長年、市原に暮らしてきたが、はっきりいって「ヤンキーは大キライ」なのだ。
というわけで、この佐倉の地で、新しい暮らしが始まった。果たしてどうなることか。
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