24時間テレビ論争(?)

世間では、24時間テレビが放映されていたらしい。

そしてその裏番組で、NHK Eテレが「バリバラ」という番組で、もろに24時間テレビを批判するかのような内容のものを放送したということで、かなり話題となっているらしい。

ネットでは、バリバラよくやった!的な投稿や、24時間テレビへの批判的な投稿などがずいぶんと見られる。またその反動か、24時間テレビ擁護のような投稿もそこそこ見られるようだ。

この騒ぎを眺めていて、つくづくと思ったのだ。


……みんな、まだテレビなんて見てるんだ、と。

テレビを見なくなってもうずいぶんとたつ気がする。我が家では、「映像を見る=インターネット配信」が当たり前になっていて、今でも地上波の電波でテレビ局がテレビ放送をしているということをうっかり忘れてしまっていたのだけど、こういう騒ぎがあると、まだまだテレビって根強く見られているんだなぁ、ということを実感するのだった。

24時間テレビは、ずいぶんと昔からやっている。まだテレビを見ていた頃からあったから、番組そのものは知っている。けれど、まだやっているとは思わなかった。

テレビを批判する人は大勢いるけれど、それは「テレビを見ている」からこその問題なのだよね。テレビなんて見なくても、今はまったく困ることはない。情報はあらゆる形で入ってくる。また、テレビで放映している番組も、人気があるものは(多少待てば)インターネットでたいていは見られる。「これはテレビを見てないと! これを見ないと人生損する!」というものなど、特にないだろう。

テレビを断てば、その瞬間からありとあらゆる「テレビに関する問題」から開放される。つまらない、ほとんど時間の無駄のような問題に時間と労力をかけてその答えを見つけ主張する必要もなくなる。


何かの問題の渦中にいるとき、僕らは「賛成か、反対か」という二者択一にしばられてしまうことがある。が、実は答えは2つだけではない。「問題そのものが存在しない」という選択肢が、時にはある。

パソコンで、「はい」か「いいえ」かのダイアログが現れたとき、選択肢は「はい」「いいえ」だけでは実はない。いずれも選択せずクローズボックスをクリックしてダイアログを「なかったこと」にする選択がある。実生活でも、そうした「問題そのものが存在しない、という選択」も実はあるのかも知れない。

「24時間テレビは是か非か」――そこには、「是」「非」の他に、「そもそもテレビなんてない」という隠れた選択肢もある。「それは回答から逃げてる!」と思うかもしれないが、それは「24時間テレビという番組を知っているのが当たり前」という思い込みに囚われているからに過ぎない。

例えばヒマラヤの奥地の電気も電波も届かないところに暮らす人間にその質問をしても、「なんだそれは」という答えしか返ってこないだろう。その質問は、「日本に暮らしている、テレビを持っていて見ている人間」という、実はとても限定された世界でしか通用しないものであることを質問する側は忘れてしまう。

自分にとって当たり前のように存在していることが、他の誰にも同じように当たり前に存在するとは限らない。自分と他人では、住んでいる世界は同じではない。自分にとっての大問題は、他人にとっては何の問題でもないかもしれない。

世の中にはいろいろと頭を悩ます問題が山のようにある。けれど、「その問題は、実は限定されたとても狭い世界の中でしか存在しないのだ」という視点を持っておくと、二者択一の縛られた回答から少しだけ自由でいられるような気がする。何かの問題に囚われて身動きできないとき、そっとこう呟いてみることにしよう。

「その問題は、僕には存在しない」

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