「COVID-19は怖い」という記事の数字は信頼できるのか?
ナショジオにこんな記事が出ていて、それを読んだ妻にあれこれ突っ込まれたのだけど、なにか違うことはわかっているのだけどうまく説明できなかった。
ここでは、インフルエンザの致死率とCOVID-19の致死率について説明している。で、致死割合には、PCRとIFRがあって、更にはインフルエンザの場合は関連死を含めた超過死亡者数で計算したりしているものもあるから注意、という話でした。
で、このPCRの比較で、「COVID-19はインフルエンザよりちょっとひどいぐらいに思っている人がいるけど、これはPCRの数値を誤解しているからで、実はものすごく怖いんだよ」ということをいっているのだね。で、その説明を読んでいくと、……あれ? 「正確にPCRを理解しましょう」といっている説明が、不正確? と妙な感じがしたのだよ。
ちょっと掲載されていた説明を整理しよう。
- インフルエンザの年間死亡者数は、1万人といわれるけど、これはインフルエンザ関連死を含めているから。インフルエンザが直接原因の死亡者数は2000~3000人ぐらい。
- PCRは、死亡者数を確定患者数で割って計算する。すると、インフルエンザの場合、確定患者数(推定)は1000万ほど。したがって、PCRは、0.02~0.03%となる。
- よく、「インフルエンザの致命割合は0.1%」という報道があるけど、これは関連死も含めた超過死亡者数1万人で計算しているから。それによると致命割合は0.1%となってしまう。この値が使われることが多い。それで「インフルエンザは実は怖いぞ」といわれてしまうが、これは間違いだ。本当は0.02%程度なのだ。
- COVID-19の場合、西浦氏などによるチームは、武漢市の状況などから0.3%~0.6%という推定値を算出した。また、英インペリアルカレッジチームが3月30日に「Lancet」に発表した論文では0.657%という値を算出している。
- インフルエンザの致死率が0.1%とすると、0.3~0.6%程度なら「ちょっと怖いインフルエンザ」にしか思えない。が、インフルエンザの正しいPCRは0.02%程度だから、実際にはCOVID-19の致死率は数十倍もあるのだ。実は怖いんだぞ。
これを読んで、「なるほど、確かにCOVID-19は怖いな。インフルエンザの数十倍も致死率があるのか」と思ったのだけど、でも何か違和感がある。どこかごまかされている感じがする。
PCRもIFRも感染者の総数によって変化する
それは、「そもそも現時点でのCOVID-19の感染致死率って信頼できるのか?」という疑問があったから。COVID-19は、現在進行中の感染症だ。であるのに、なぜ「正確なPCRが算出できる」と考えるんだ? ほぼ正確なPCRと、現在進行中の不正確なPCRを比較したら、正確な判断はできないはずだろうに。
記事では、「こういう具合にいろいろあるから、PCRではなく、IFR(感染者致死割合)で確認すべきだ」という(結局、そこにもっていきたかったわけね)。だから、COVID-19のほうも「確定診断数」ではなく、「感染者数」で算出し、その上でインフルエンザと比較すべし、という(これについては異論はない)。そしてインフルエンザのIFRを0.05~0.01%としていた(感染者のうち受診して確定診断が付いた人が1/4~1/3くらいと仮定して出した大雑把な推定とのこと)。
これに対し、COVID-19は? これも、まだ感染者の総数がわからないのだから本当の割合はわからないはず。
が、記事を見ると、COVID-19の死亡率を0.657%として「0.02%程度のインフルエンザより遥かに危険だ」としている。この0.657%という数字は、前述の「Lancet」発表論文の値を使っている。3月末だから、事態進行中の真っ只中で発表されたものだ。この0.657%という数値が果たしてどこまで信頼できるものか、最終的にこの数値はどうなると予想されるのか、といったことには一切触れず、ただ「0.657%と比べれば……」とこの値をもってコロナの危険を断じているのだね。そこに強い違和感をおぼえるのだ。
確かに高い数字だが、こうした新しい感染症は、当初、対象となる患者が限られているために死亡率が高くなるのが常だ。しかし事態が明らかにってくるにつれ患者数は大きくなり、殆どの場合、死亡率は低下していく。このことを考えるなら、COVID-19も最終的には0.657%からおそらく低下するだろうことは想像できる。
東京都を中心とした抗体検査では、全体の3.3%が既に抗体を持っているという調査もあった。仮に日本人全体の3.3%が何らかの形ですでに抗体を持っている(感染済み)と仮定すると、致死割合は約0.02%だ。あれ? インフルエンザと大差ないぞ?
また別の調査では、東京都で抗体を持つ割合は0.6%というものもあった。ずいぶん低いな、と不思議な感じがしたが、仮にこの値を全国に当てはめてみると致死割合は約0.1%となる。超過死亡者数まで含めたインフルエンザの致死割合と同程度だ。うーむ、確定診断者数でなく感染者の総数を推定し計算すると、どうやっても「怖いぞ怖いぞ」といわれるような数字にならないぞ……。
そうなのだ。結局、「感染者の総数」が確定しない限り、この種の数値はいくらでも変わってしまうのだ。だから、現在進行中のCOVID-19の致死割合がいくらか? というのは、実は「現時点でははっきりと答えられない」としかいいようがないのだ。
それを「〇〇と考えられます」と、まるでわかっているかのように数値を示し、それが正しいものであるかのように報道されたとき、その数値によって「それを観た人々に示すべき方向性」が決まるのではないか。いや、むしろ今のメディアでは「自分たちの報道の方向性に合うような数値しか報道されない」というべきか。
数字は、作れる!
COVID-19の感染者数や致死割合は、さまざまな調査から得られたさまざまな数字を元に計算される。だから誤解を恐れずにいえば、「自分の主張にあった数字をいくらでも作れる」状況にある。それも、でっちあげの数字ではなく、きちんと調査された数字を元にだ。数多ある調査結果から、自分が得たい数字を作り出すのに見合ったものをピックアップして計算すればいいのだから。
「現在の日本の患者数は16400人(5/22)」というのを元に致死割合を計算すれば「致死割合は4.5%」という凶悪な数字になる。ニューヨークで行われた抗体検査の「14%が罹患済」という値を「日本でも同程度と考えると」なんてやって無理やり当てはめれば「致死割合は0.005%」とインフルエンザ以下になる。自分の主張に合わせて数字を作れば、「きちんとした調査に基づいて算出された(自分の主張に有利な)値」がいくらでも用意できるというわけだ。
こういう「数字」を論拠とした説明は、その数字がどういうものかというきちんとした説明をすっ飛ばして「こういう数字があるんです、これをもとに考えるとものすごく怖いぞ」みたいな話になってしまいがちだ。「その数字はどこから出てきたのか、どこまで正確なのか」を考えずに、その数字だけが独り歩きしてしまっている。
特に理系な考え方に不慣れな人は、具体的な数字を提示された瞬間、それを無条件に「正しい」と信じてしまうきらいがある。「取り上げた数字により、それに応じた見方を受け取った側に植え付けてしまう」ことを考えた上で、メディアは数字を扱うべきではないのか。
もっと「メディアが報ずる数字」について、きっちりとした背景を確認する必要がある。なぜ、どのようにしてその数字はもたらされたのか。なぜ、別の××という値ではなく、この○○という値が紹介されたのか。その意図は何か。メディアによる数字は、必ず何らかの「意図」が隠されている。その数字の意図は何か? を常に考えなければいけない。
「作れない数字」を探せ
では、現時点で僕らは信頼できる数字を一切持っていないのか? いや、そうとも断言できない気がする。世の中には「操作できない数字(あるいは、操作するのが非常に難しい数字)」というものもあるはずだ。
一時期、「人口当たりの死亡者数」がそれに近いのでは、と考えたこともあった。これで考えると、100万人当たりの死亡者数は、米国は268人、英国は501人。日本はわずかに6人だ。この数字は、「コロナなんてたいしたことない」という意見にけっこう盛んに使われた。ただし、これも死者数は今後も少しずつ増えていくだろから正確な値ではないし、果たしてどこまでがコロナによる死か判然としない部分もある(直接死のみか、関連死を含むか、など)。
そこで現在、注目されつつあるのが「超過死亡者数」だ。それぞれの国では、「この時期はだいたいこのぐらい人が死ぬ」という統計的データがある。特別な事情がない限りは、これは大きな変化はない。例えば過去5年間の死亡者平均値を元に各国の死亡者総数を比較すれば、「コロナ禍によりどれだけ死者数が増えているか」が推定できる。統計的に優位な差があれば、それが「コロナ死」と判断できるだろう、というわけだ。
これは、かなり信頼性の高い数字に思える。少なくともある程度以上の文明国であれば、死者数はほぼ正確に把握されている。そして、この方式では、「数字をごまかしてる」という主張をするのはかなり困難だ。ただし、これも完璧というわけではなくて、例えば自粛やロックダウンにより交通事故死は大幅に減っていたりするし、逆に医療崩壊の現場ではコロナ以外の重症患者が(本来なら助かる確率が高い人も)十分な治療を受けられずなくなるケースも出てくる。こうした点を考えると、これにより「コロナによる死者数が正確にわかる」とはいえない。が、およその検討はつく。
この方式で算出したところ、例えば2/20~3/31の期間で、イタリアの超過死亡数は2万5千人ほどとなる。この期間のコロナによる死者数は1万2428人となっているが、それよりかなり多いと推測できる。ロックダウンにより交通事故等が減っていることを考えると実際には更に多いと想像できる。
では、日本は? 日本の場合、現時点では統計的に優位な差が見られない。つまり、「コロナによる死亡者は、目立つほどなかった」ということがわかる。逆に、自主的な3密の対策によりインフルエンザの死亡者数が減っていることなどもあり、2020年3月の死亡者数はそれまでの平均より減っている。自粛により交通事故が激減しており、また医療崩壊なども起きておらずコロナ以外の病死等が特段増えていないことから4月は更に減っているかも知れない。
コロナでは、重度の肺炎による死亡が多く、「コロナに感染したら肺炎で亡くなる、怖いぞ」とメディアにより刷り込まれている感はあるが、そもそも高齢者の死亡原因の3位が肺炎だ。毎日300人以上が肺炎でなくなっているわけで、コロナがなかったとしても、他の何らかの要因で肺炎となり亡くなる人は大勢いる。高齢者で体力が落ちている人は、ごく普通の風邪で肺炎を併発し死亡する例も多い。
コロナは心配だし、誰しも死にたくない。だが、日本では毎年130万人以上が死んでいる。毎日、3千人以上がどこかで亡くなっているのだ。病気で、事故で、その他の要因で。その中に「2~5月で800人ほどが亡くなる感染症」による死亡が増えた、ということを踏まえて考えなければいけない。コロナにかからなければ人は死なないわけではない。日々、大勢が死んでいる。その上で「どれだけ怖がるか」を考えなければならない。
コロナは怖い。では自動車は? 電車は? 飛行機は? インフルエンザは? 結核は? 大勢死んでいるがこれらは怖くないのか。タバコは? 肥満は? 運動不足は? 大気汚染は? 環境破壊は? これらは、目の前でバタバタ人が死んではいないが、コロナより圧倒的に多くの人の命を奪っている。これら多くの「人が大勢死ぬ要因」が当たり前に存在する世の中で、「コロナだけを怖がる」のは正しい怖がり方なのか。
これらがどれだけ人の命を奪ってきたか、その数字を僕らは殆ど知らない。調べようともしない。だが、これらの数字は、コロナ関連の数字よりも遥かに恐ろしい値を示すはずだ。コロナの数字は、「コロナ以外の数字」と比較して、初めて相対的な「怖さ」が実感できるのではないだろうか。
スペイン風邪の奇妙なデータ
コロナの数字を考えるとき、「メディアは、決してその数字を保証しない」ということも頭に入れておく必要がある。彼らは、決して検証はしない。ただ、どこかで見つけた数字を右から左へと流すだけだ。
メディアは、時として奇妙な数字を平然として使う。その好例が、例えば人類史上最大のパンデミックといわれるスペイン風邪のデータだ。「人類の4割近くが感染し、5000万~1億人が死んだ。感染致死割合は2.5%にも達する」という、未だにあちこちで耳にする数字。これ、「……えっ。その数字、おかしくない?」と感じた人はどれだけいるだろう。
当時の世界人口は15億程度。4割感染なら総数は6億。致死割合2.5%なら、死亡者数はせいぜい1500万かそこらである。間違っても1億にはならない。もし本当に1億人が死んだなら、感染者の総数は40億。当時の世界人口の2倍を超える。また感染者の総数6割、死亡者数1億を信じるなら致死割合は16%を超え、これはかつて「黒死病」といわれ中世ヨーロッパの悪夢だったペストの現在の致死割合に匹敵するわけで、さすがにそれもあり得ない。
どう考えても、どれかの数字が間違っているのだ。しかしながら、未だにこれらの数字は「スペイン風邪」の恐ろしさを表すものとして当たり前に使われている。小学生でもわかる四則演算で気がつく間違いなのにメディアは一向にこれを正そうとしない。メディアとはそういうものなのだ。
COVID-19の現在言われている各種の数値も、「現時点での暫定値であり、正確な値ではないんだ。この値は時とともに必ず変わるものなのだ」ということを念頭に置いて見るべきだろう。こと数字に関する限り、メディアは、正しくない。そう肝に銘じるべきだ。現在、報道されているすべての数字は、今後かならず変わる。
すべてのものは時とともに希望に変わる
そして。
もし変わるとするなら、それは恐らく「より患者総数が多くなる方向(=致死割合は低下する)」に変わるだろう。そのことは頭に入れておきたい。この先、劇的に死者数が増える(なぜか、いきなり国内で万単位で人が死ぬなど)ようなことがない限りは、必ず感染者総数は増え、致死割合は低下するのだ。
あらゆる細菌やウイルスは、変異とともに毒性は低下していく。あらゆる災害(感染症含む)は、時間とともに収束していく。不況も、戦争も、差別も、なんであれ、それは時間とともにより穏やかな方へと変化する。一時的に悪化することはあっても、永遠には続かない。
どんな数値も、時間とともにそれはより変化の緩やかな形にシフトする。どんなに「悪い方向に変化する」ように見えるものも、せいぜい1年か10年か(あるいは100年か100万年かすれば)必ず穏やかな方向に収束する。これは感染症に限らず、あらゆる世界でいえる、不変の法則だ。エントロピーは常に増大する。熱力学だけでなく、この世のあらゆる分野でそれは正しい。
世の中は、時間とともに常に「厳しい」ものから「やさしい」ものへと落ち着いていく。だからこそ人は未来に希望を持てるのだ。メディアよ、恐怖を煽るのをやめて、希望を語れ。