「直感的」がそんなに大切か?
BUZZにもちらっと書いたのだけど、GIZMODOに、Windows Phone 7の実機レビューが出ていた。これが、なかなか面白そうなのだ。「ハブ」という新しい概念は、かなり興味深い。
だが、それにも増して興味を引いたのは、Windows Phone 7の「非直感的な操作感」だった。レビューでは、多くの人に実機を渡して触ってみてもらったようなのだけど、その大半の人間が、数分ほど触った後、首をかしげながら返してくるのだという。「使い方がわからない」というのだ。が、具体的に使い方などをきちんと説明すると、俄然「面白い!」と評価が一変するらしい。これがものすごく興味をひく。一体、どんなインターフェイスなのだろう、とにかく見てみたい、触ってみたい。
どうもこの種のガジェットでは、ここ何年も「直感的」ということばかりがもてはやされているような気がする。直感的インターフェイス。マニュアルなど読まなくても、触ってみれば直感的にわかる。それこそが素晴らしいインターフェイスだ、すぐれたインターフェイスだ。そう言われ続けてきた。
僕は、そうは思わない。そも、インターフェイスであれ他の何であれ、僕は「無条件にわかりやすくすること」に対し、常に懐疑的な思いをいだいてきた。「わかりやすい」ことがそんなに大切なのか? 複雑であること、わかりにくいことはそんなにも排除されなければならないことなのだろうか。
直感的なインターフェイスは、それはインターフェイスが整理され且つ統一されており、最小限の学習ですべてが理解できるということを意味する。それは即ち「用意されるインターフェイスが貧弱である」ことを意味する。そうじゃないか? 例えば「A」「B」「C」しか選択肢がないインターフェイスと、「A」から「Z」まで選択肢があるインターフェイスがあったとしよう。用意される機能が3なら、前者が圧倒的に簡単だ。だが、用意される機能が100あった場合、前者で必要な機能に到達するためにはいくつもの操作が必要となる。後者であれば常に2操作以内に機能にたどり着く。
すべてマウスだけで操作するインターフェイスと、すべてキーボードからコマンドをタイプして操作するインターフェイス。直感的なのはマウスだけの操作だ。だが、より複雑な操作を短い手順で実現できるのはキーボードだろう。つまりは、これは「どちらが上だ」というものではない。それぞれに良さがあり、それぞれに適した用途があるということなのだ。
だが今、果たしてこれらの違いはそのように評価されているだろうか。いついかなるときも常に「直感的にわかりやすい」ものが優れており、「複雑でわかりにくい」ものは劣っている、そう思われているのではないか。それがどのような対象に適しているかなど考えず、無条件に、機械的に「こっちが直感的だからこっちの勝ち」と判断していないだろうか。
直感的なものばかりで、複雑でわかりにくいものが消え去った世の中など、実に単調でつまらない。例えば映画を見よ。ハリウッドの単純でわかりやすい映画ばかりの世界など誰が喜ぶものか。
複雑でわかりにくい世界。そうした世界も、また「直感的でわかりやすい」世界と同様に必要なこともあるのだ。――ただし、スマートフォンの世界においては、そうでないことは確かだが。残念でした、Windows Phone 7。