正しさは多数決で決まるのか?

BUZZにも書いたんだけど、今日、Twitterで「Xperiaの2.1アップデートが中止決定」といったデマが広まっていったようだ。僕はTwitterはやっていないんだけど、まぁ仕事の関係でAndroidやXperia関係の情報は定期的にチェックしている。それが、普段はそれほどでもないのに、なぜだかいきなり「Xperia 2.1アップデート」とかの検索結果がどどっと引っかかってくるようになった。それが、どれもこれも「中止になった!?」みたいなつぶやきばかりだ。「おいおい、ほんとかよ?」とこっちもさすがに驚いてしまった。

で、出どころを探ってみたところ、どうやらdocomoの内部文書(に似せて作った偽文書)のイメージがあちこちにアップされていて、どのあたりが震源地らしい、ということがわかってきた。誰がどういう目的で作ったのかわからないが、少なくとも偽造であることは明白だから、そのうちに下火になるだろうとは思う。が、中には驚いてdocomoショップに駆け込んだりする人間も出てくるかも知れない。万が一、それでXperiaの解約がどどっと出たりすると、これは明らかに業務妨害になる。

まぁ、今回のデマは、そう大きな問題に発展することもないだろうが、しかしこれではっきりとしたのは「Twitterが、この種のデマについては無力である」ということじゃないだろうか。Twitterは、文字数制限がある。この関係で、情報の出典など詳しい情報をつけることができない。Twitterは、その仕組からして「情報を常に不完全な形で出す」ようにできている。

もちろん、Twitterのつぶやきの信憑性なぞ、まともなサイトに比べれば遥かに低いだろうことは想像がつく。だから、いくら大勢がつぶやいたところで、真っ当なサイトできちんと正しい情報が伝えられる限り、そう大きな問題が起こることはないだろう。

……と、思っていた。だが僕はどうやら勘違いをしていたらしい。Twitterの「信憑性のないつぶやき」は、気がつけば「真っ当な信憑性の高いサイトの情報」を凌駕するほどになりつつある。僕は、根本的なところで勘違いをしていた。

人は、情報を「正しさ」で判断すると思っていた。だが、そうではなかった。
人は、情報を「多数決」で判断するようになっていたのだ。

どんなに信憑性の高いサイトで正しい情報が伝えられても、Twitterでつぶやかれるのがどれだけガセな情報であっても、圧倒的な数のつぶやきが流れれば、人は「これだけ大勢がつぶやいているんだからきっと本当に違いない」と思ってしまうのだ。

Webサイトから掲示板へ。掲示板からブログへ。ブログからつぶやきへ。――ネットの情報形態が変化するに伴い、人は「情報の信憑性をはかる」ことを次第に放棄するようになってしまった。情報を発信する側の人間が、より「発信する情報の信頼度」を軽視するようになるに従い、多くの人は「その程度でいいんだ」と思うようになっていった。

その昔、自分でWebサイトを作り情報を公開するとなれば、その内容が正確かどうかをくどいほどに確認したものだ。多くのサイトでは出典や文献、参考資料等や関連リンクがつけられていた。それが、ブログの時代にはせいぜい確認のリンクが付く程度になり、今、何のチェックもされずに胡散臭い情報がつぶやかれる時代となった。

誰も、自分が送信した情報の正しさに関する責任なぞ負うつもりなどない。誰も責任を取らない情報がそこいらじゅうを飛び交っている。そうした情報に一喜一憂し、踊らされる。自分がつぶやいた内容が例え間違っていようが、そんなことはどうでもいいのだ。なぜなら、「オレが悪いんじゃない、オレが見たぶつやきを書いたやつが悪い」のだから。

ただ閉じられた世界の中でそうした不確かな情報が飛び交っているだけなら害はないだろう。だが、いずれはそれらの情報が実社会に影響をおよぼすようになる。流れるつぶやきを見て「あれはいい、これは駄目だ」と判断したり、「あいつはいいやつ、あいつは悪いヤツだ」と思い込むようになる。いや、既にそうなりつつあるのではないか。

それは信ずるに足るものなのか。――そのことを「情報の多数決」で決めてしまう今の世の中の流れをなんとか変えなければならない。情報は、「多くの人がそういっているから」正しいんじゃない。そのことを、ぼちぼち本気で考えなければいけない時代に差し掛かっているんじゃないだろうか。

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