コピーバンザイ! イオンタウン ユーカリが丘

わが町にイオンタウンができた。それまで、いわゆるスーパーのイオンはあったのだけど、今回、けっこうな規模の「イオンタウン・ユーカリが丘」ができ、近隣住民としてプレオープンに行ってきたのだ。

建築された場所の面積からして、それほど大きなものではないだろうとは思っていたのだけど、東西の2つの棟にそれぞれ3フロアがあるためか、全体を見て回るとなるとそれなりに大変。総賃貸面積は近くの勝田台にあるフルルガーデン(with イトーヨーカ堂)より若干広いとのことで、なるほどこちらが思った以上にでかいようだ。

店舗数は当初広げた200店舗という大風呂敷には全然届いておらず、それを示すようにあちこちに「いかにも急ごしらえで店舗を押し込めました」的なほとんど仮設店舗まがいの店も見られた。目玉のH&Mなどは秋までずれこむし、思った以上に店舗集めに苦心したのかもしれない。

が。いろいろマイナスなイメージを持って出かけていったのだけど、実際に回ってみると、意外なほどにこれが「使える」イオンであることがわかってきた。特に、新しいイオンスーパー(?)である、イオンスタイルが思った以上に使える。

まず、カルディをまるっきりコピーした「カフェランテ」が、けっこう使える。カルディの品揃えはそのままに、更にカルディにはなかった商品もいろいろあって非常に面白い店になってる。

また、かのアールエフワンの劣化コピーのような「リワードキッチン」も、手頃な値段でそこそこおいしいものを揃えていてなかなか使いやすい。アールエフワンは高いからね。

またソファなどの家具までイオンスタイルに揃っていて、それが無印の家具をきれいにコピーした(なおかつ、若干無印より使いやすくなっている)ものに見える。これまた使えそう。

更にはキッチン用品など雑貨関係もイオンのプライベートブランドであるトップバリュ製品群でがっちりと固めていて、これがそのへんのおっされ~な雑貨屋さんより品揃えもよくて安かったりする。

どんなものも、すべてコピーがイオンにある。もう、イオンがあれば他に店はいらないよな、という気分にされてしまう。すごい。

「……ちょっと待て! それでいいのか? 輸入食材はカルディがこれまで切り開いてきた分野じゃないか。それを後から来てコピーしたような店を『いい店だ』なんてよくいえるな。他のものだってそうだ。全部、他で成功したものをパクった店ばかりじゃないか。そんなものをよく受け入れられるな」

そういう内なる声は、ある。確かに。僕だって、実際にできるまでは、「新しいイオンには絶対にカルディを入れてくれよ」とかなり真剣に思っていた。イオンが作ったカルディのコピーなんて受け入れられるか、と思っていた。そんなのでいいのか?と。

そして、実際に行ってみて思ったのだ。――これでいいのだ、と。

芸術作品なら、そりゃコピーは問題だ。また製品にしたところで、ブランド名までまるっきりコピーして、というのはまずいだろう。iPhoneのコピーを「これがiPhoneです」とアップルマークを付けて売ったら訴えられるに決まってる。

ただ、「真似をしている」まですべて「駄目だ」といったら、日本の会社の9割は「ダメ」なんじゃないか? アパレル関係なんて、ほぼすべて海外ブランドのコピーだろう?

そもそも、日本って国は、「外国のいいものをコピーして発展した国」であることは確かなんだ。その昔、日本が海外から「モノマネ猿」呼ばわりされていたことをみんな忘れたのか。

今は、日本をそう呼ぶ人はいなくなった。それは、日本がコピーしなくなったから、ではない。「コピーした日本のほうが、いいものを作るようになったから」だ。

韓国や中国も日本の製品をコピーして一時期問題だったが、それは「質の悪いコピー」だったからだ。そこから日本製品よりよいものを作るようになれば、誰も何も言わなくなる。既にサムソンやファーウェイ、シャオミなどはSONYなどよりはるかに実力のある一流企業となっているじゃないか。

企業としての倫理とかいったらまた話は別になるが、少なくとも「消費者」としては、よりいいものがより安くより手軽に手に入るようになるなら、それでいい。消費者にくだらない倫理を求めても意味がない。「コピーは粗悪品、オリジナルのほうがいい」なら、黙っていてもみんなオリジナルを買う。コピーのほうが安くていいものだったら、そっちを買う。当たり前の話だ。

コピーばかりに囲まれた暮らし。それは言葉にすれば決していいものには思えない。だが、「質の悪いオリジナルばかりの暮らし」と、「高品質なコピーの暮らし」なら、後者のほうが幸せではないか。

オリジナルは、オリジナルであるがゆえに素晴らしいのではない。それまでなかった、新しい「何か」を人々に提示したからこそ、素晴らしかったのだ。だが、それは「ゆえに永遠に尊重されるべきもの」ではない。あらゆるもののコピーを永遠に禁じたら世の中は停滞し前には進めなくなる。

世界の99%は、コピーでできている。オリジナルが尊重されるのは、それが「初めての新しいもの」として人々に認知されている間だけだ。それが普及し、当たり前になったら、もうそのオリジナルとしての価値は認められない。そうなってもなお、それが「オリジナルだから」というだけの理由で尊重することを強いるなら、それは「発展を阻害する者」となってしまう。

だから、僕らがコピーに求めるべきは、「罰」じゃない。「もっといいコピーを作れ」という要求だ。オリジナルを超えるコピーを作れ。それができないなら批判する。それができたなら歓迎する。そういうことだ。

カフェランテ。すばらしきカルディのコピー。僕は、受け入れる。そして、カルディが更に楽しい店に進化したら、もちろんカフェランテなんていらない。当然だろ? だって、たかがコピーだし。

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