炊飯器が消えた!

だいぶ前に、「我が家のキッチンから電子レンジが消えた」ということを報告した。そのときに、「次は炊飯器だ」と書いたが、どうやらこれが実現しそうだ。

事の起こりは、妻が「圧力鍋がほしい」と言い出したことだ。何を思ったか、突然、「玄米を食べよう」といい始め、あれよあれよというまにシラルガンの圧力鍋と、野田琺瑯の「KAMADO」という琺瑯鍋が我が家にやってきてしまった。そしてそれから毎日、「今日はシラルガンで玄米を炊いてみよう」「今日はKAMADOで白米だ!」と、日夜研究の日々を送ってきたのであった。

そして。ふと何日か前の夜、思ったのだ。「だったら、炊飯器、いらないんじゃない?」と。――妻は高らかに宣言した。

「この炊飯器を、納戸へ!」

そして炊飯器は、納戸の中に眠る、数々の現役を引退した家電製品たちの片隅に、ひっそりと眠ることとなったのだ。(とかいいながら、「今日は娘のお弁当の日よ」とかなると、慌ててまた出してきて予約炊飯したりしてるんだが)

まぁ、まだ完全に炊飯器と手が切れたわけじゃないけれど、それでも「たまにお世話になる」程度で、日常の生活には差し障りない程度にはなってきている。

それにしても、なんでこんなに(思ったよりも)簡単に炊飯器無しの生活が開始できたのだろう。思ったのだが、炊飯器というのは、考えていたほど便利なものではなかったんじゃないだろうか。

確かに、いつでもお米を入れてボタンを押せば炊ける。保温もしてくれるし予約もできる。が、やってみて改めて感じたことだが、実は炊飯器というのは、意外にご飯を炊くのに時間がかかってしまうのだ。鍋なら10分もあれば白米なら炊けてしまい、後しばらく蒸すだけだ。が、炊飯器では40分ぐらいは平気でかかる。「ボタンを押したらほったらかしにできる」からあまり気にならなかったが、なんでこんなに時間がかかるのか?

そして、なにより「炊飯器はまずい」のだ。そのことを、新しい鍋たちがやってきて再認識した。特に、野田琺瑯のKAMADO。こいつで初めて白米を炊いて食べたときの感動を、僕は生涯忘れないだろう。一口、口に入れた途端、

う……うまい……!!!

あぁ、日本人に生まれてン十年。これほどにうまい飯を果たして今まで食ったことがあったろうか。本当に、これがうまいんだ。また玄米も、うまく炊ければなかなか食える(妻などは、玄米のほうがはるかにうまいらしい)。ありがとう、野田琺瑯。KAMADOは日本の宝だ!

2つの鍋が来て以来、我が家の夕食は、常に「ご飯」がメインディッシュになってしまった。おかずは、「ご飯をおいしく食べるために、何か適当にあればいい」状態になってしまった。肉? 魚? そんなの、いつ食べたっけ?

昨今、とにかく食の安全ということがゆらいできている。身近で取れる野菜と安全な米、それを中心にした食生活へ移行することは、「安全な食べ物」という点では悪くない選択だ。そのためには、なんといっても「うまいご飯」が必要なのだ。だって、飯がまずけりゃ、とにかくうまいおかずで胃袋に流し込むっきゃないだろうが。

というわけで、我が家は「炊飯器でいつでもできる普通のご飯」から「鍋でちょっと手間がかかるおいしいご飯」へと移行しつつある。完全に移行できるまでにはまだまだ時間はかかるだろうが、とりあえず「飯がうまくなる」ならなんとかなるだろう。我が家は全員、食いしん坊なのだ。

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