子供だまし
先月末に、ピアノの発表会があった。無論、オレじゃないよ。子供の、だ。(といいつつ、 父親も母親もちゃっかり共演してきちゃったりしました、はい)
子供が通っているピアノ教室は、非常にのびのびというか、「 さあ、発表会よ! もし間違えたりしたら磔よ!」的な雰囲気は微塵もなく、 誰一人として間違えずに弾いた生徒がいないという実にいーかげん な発表会だったのだが、それはさておき……。
暇を見ながら生徒たちの演奏を聞いたりしていたのだけど、「 子供向けの曲」というのが、 実に明確に2つに分かれることをつくづくと感じたのでした。 それは「きちんとした曲」と、「日本人の曲」だ。 もっとわかりやすくいうなら、「きちんとした曲= 日本人以外のまともな作曲家の曲」であり、「日本人の曲= 子供向けの曲ぐらいしか作品を持たない、 作曲家のレベルとしては格がどっと下がる人の作品」だ。
そのピアノ教室では、「もう、バイエルの時代じゃありません」 といい、日本で作られた子供向けの教本を使っている。だが、 こうして発表会で聞いていると、そうした日本人が書いた曲より、 バイエルのほうがはるかに格調高い曲に聞こえるのは一体、 どうしたわけだろうか。日本人による新しい教本に登場する曲は、 どれもこれも「子供に媚びた、子供だましな曲」 ばかりに感じてしまうのだ。
向こうの教本などを見てみると、実に錚々たる顔ぶれが並ぶ。 ベートーベン、モーツァルト、バッハ、シューマン、 バルトークなどなど。多くの大作曲家が、 子供のために小品をいくつも書いている。そうしたものと、 日本人によるオリジナルな作品とが並んでいると、 それはもう悲しいくらいにつまらない曲に聞こえるのだった。
「子供のための曲」は、「子供だましの曲」ではないはずだ。 著名な作曲家たちと肩を並べるだけの実力を持たない人間が、「 子供向けの曲なら書けるぞ」 とばかりに書いて通用すると思っていたら、それは間違いだろう。 子供にこそ、本当に質の高い曲を用意すべきじゃないのか。
少し前に、向こうの教本の中にあった、カバレフスキーの「 小さい歌」をちょっと練習したことがある。 カバレフスキーなんて、オレはそれまで聞いたことなかったぞ、 誰だこいつ?とか思ったりしていたのだけど、実際聞いてみると、 わずか十数小節程度の小粒のものでさえ、 しみじみと味わい深く美しい。30秒で終わるような曲でさえ、 ちゃんとした発表会で演奏しても通用するだけの風格がある。 こういう曲で、練習させてやりたいんだが……。残念なことに、 こうした教本を持っていくと「これじゃ教えられない」 と退けられてしまうのだった。
子供が通っているピアノ教室は、非常にのびのびというか、「
暇を見ながら生徒たちの演奏を聞いたりしていたのだけど、「
そのピアノ教室では、「もう、バイエルの時代じゃありません」
向こうの教本などを見てみると、実に錚々たる顔ぶれが並ぶ。
「子供のための曲」は、「子供だましの曲」ではないはずだ。
少し前に、向こうの教本の中にあった、カバレフスキーの「