サッカーぐらい勝つな!

貧しい若者と富める若者がサッカーをしているところをAIに描かせたらこうなった

不思議だ。

新聞を見た限り、ワールドカップは現在決勝トーナメントの真っ最中であり、クライマックスに向けてどんどんヒートアップしている、はずだ。ところが、僕の周辺を見た限りでは、どうやらワールドカップはもう終わったようだ。そう、日本が負けた時点で。多くの人達の間で、既にサッカーの話題すら出てこないようになりつつあるように思えるのは僕の気のせいだろうか。

どうも僕はサッカーとは肌が合わないらしい。一時期、(まだ日本がワールドカップに出る前)ワールドカップの試合を見たりしていたこともあったのだけど、次第に「どうもあわないな」と疎遠になってしまった。やっぱり僕は、野球で育った世代なのだろう。だから、結局、それほど熱中できなかった。だから、今回のワールドカップも見なかった(多分、この後も見ない)。これはまぁ、しょうがない。世の中、そういう人間もいるのです。

こういう人間が言うことなので、まぁ、根っからのサッカーファンには絶対に納得できないことかも知れない。だけど、日本が敗退し、「自称にわかサッカーファン」たちが(まだ決勝トーナメント真っ最中だというのに)あっという間にワールドカップを過去のものとし何事もなかったかのように普段の生活に戻りつつある今だから、あえて書いておこう。

僕は思う。本当に日本が決勝トーナメントで1勝もできなくてよかった、と。
本当のことを言えば、予選で1勝もできずに敗退してくれればもっとよかったのだが。まぁ、「決勝ではまったく勝てなかった」だけでもよしとしよう。


……例えば、こういう想像をしてみて欲しい。

クラスに、2人の生徒がいる。一人は、成績も優秀、スポーツもけっこうできる、音楽も図画工作も先生の覚えめでたい、親はいいとこのサラリーマンで年収もよく、やさしい母親、庭付きの一戸建て。まぁ、お父さんの会社の業績が悪くなって子会社に出向となり、ボーナス大幅カットになって「経済的に大変だ」とはいいつつも、でもそれは大企業に務めるサラリーマンの間では……の話であって、クラスの中じゃ依然としてゆとりある生活を送っているA君。

もう一人は、勉強まるでダメ、歌を歌えば音痴、絵を描けば幼児並み、年中問題を起こしては職員室に呼び出される、親は生活保護寸前、しかもアル中で年中暴力をふるい、母親は他の男を引き入れ挙句の果てに失踪、もう小学生で既に人生の終わりに直面している……けれど、サッカーだけはすさまじくうまい、プロが注目しているB君。

このB君を、お父さんのコネと金でJリーグの選手に指導をしてもらってみるみる上達したA君が押しのけ「サッカーで一番」の地位を手に入れてしまうのは、世の中の有り様として正しいことだろうか。僕はイヤだ。何もかも手に入れる一部の人間が、他の「何もかも失ってしまったけれど、ただ一つのものだけは手に入れられるかも知れない」人間を押しのけて、それを手に入れてしまうことなど。僕は断じて認めたくない。

A君は、日本なのだ。そうじゃないか。そりゃあ、昨今の不況で生活が苦しい人たちもたくさんいる。国力も落ちてきている。けれど、少なくとも国民の3人に1人が餓死するようなことはない。十代の女性の半数が売春し、9割がエイズで30歳前に死ぬということもない。ゴミ処分場で捨てられたばかりの生ごみをあさって子供たちが暮らすこともない。どんなに苦しいといっても、せいぜい「生活保護をうけないと暮らせない」程度だ。世界を見渡せば、日本はまだまだ豊かだ。

世界には、サッカー以外に何一つ希望を持てない国がある。サッカーにすべてをかけている人たちの暮らす国がある。そうした国を日本が負かして、それでみんな嬉しいのか? 喜べるのか?「問題がずれてる。経済や国のあり方と、サッカーは別だ」と思うだろうか。僕にはそうは思えない。

日本には野球もある。相撲も(まだ、一応)ある。ゴルフもある。何でもある。いいじゃないか、サッカーぐらい「出ると負け」で。世界中の人に「日本は、何年やってもサッカーだけはまるで駄目だなあ……」と思われる国で。それでいいじゃないか。なぜ、何もかも手に入れようと思うんだ?

ワールドカップでオウンゴールをしてしまった選手が帰国後ファンに射殺されたのはコロンビアだったろうか。今回、決勝トーナメントで日本がパラグアイに勝ってしまっていたら、パラグアイの選手は無事だったろうか。そういう想像をするのは変なのだろうか。

弱みのない人間になろうなんて思っちゃいけない。誰にでも、「こればっかりはまるでダメ」という欠点があるべきなのだ。「A君は、〇〇はすばらしいが、××はてんでダメ」というのが正しいあり方なのだ。決して「A君は〇〇も××もすべて素晴らしいが、B君はなにもかもダメ」という世の中であってはならないのだ。

サッカーぐらい、弱い国でありたいと思う。そう思うのは、僕と妻ぐらいなんだろうか。「お前はサッカーファンじゃないからだ。別にサッカーでなくてもいいだろ」といわれれば、そりゃあまぁ確かにそうだ、と答えるしかない。サッカーでなくても、野球でもゴルフでもそりゃあかまわない。ただ、「それしか希望の無い者たちがいる」ということ、そして「そうした者たちから希望を奪うのは正しいことなのか」ということ、そのことだけはみんな考えて欲しいと思うのだ。4年に1度、ワールドカップに日本が出場となった時だけ大騒ぎし、普段はJリーグの試合を見に行くことすらない程度の日本が、サッカーに強くなって本当にいいのか?

ただ「日本が勝てば嬉しい」という、それ以上のなんらサッカーに恋着ももたないにわかサッカーファンたち。どうかちょっとだけ考えてみて欲しい。「日本が勝つことによって、誰が、何が奪われるのか」ということを。「勝つ」ということは、「敗者を生み出す」ということなのだ。そしてそれは、「勝つことにより、相手から何かを奪う」ということなのだ。

スポーツだから誰かが勝てば誰かが負けるのは当たり前?
正々堂々と戦うのがスポーツマンシップ?
全力を尽くして相手に勝つことが相手への敬意?

冗談いっちゃいけない。生まれてから一度も満足な教育もうけず、たった1つのサッカーボールすら買えずにボロを丸めてひたすら蹴り続ける環境にいる人間と、何もかも金で手に入れることのできる環境にいる人間が、「正々堂々と戦う」だって? 笑わせるんじゃないぜ。

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