政治の季節らしい。本屋に行けばさまざまな政治経済の本が反乱している。民主党が下野し自民党が復活し、維新の会が躍進し、アベノミクスで株価が上がり、なかなかに面白い状況なのだろう。
だがしかし、数多出ている今の政治に関する新書単行本の類いをぺらぺらと手に取り眺めたのだけど、どうも「これは!」というものが見つからない。なにか違う、なにかずれている、そういう印象ばかりを受けてしまうのはなぜなのだろう。世間の政治に対する感覚と僕の中の感覚がどこかでずれているのだろうか。
そう思いつつ今日もTSUTAYAをうろうろと徘徊してきたのだけど、眺めているうちになんとなくわかった気がする。それは、多くの人が、今の政治の体たらくぶりを「技術的な問題」と捉えているからだろう、ということなのだ。「技術的」というと表現が変かもしれないが、つまりは「うまくできないのが問題」ということだね。
「今の政治家は、無能だったり、腐敗や癒着で真っ当に政治判断できなかったり、知識や政治に関するテクニックがなかったりするのが問題なのだ。だから能力のある人、技術のある人がやれば政治はうまくいくのだ」
――そういう感覚だね。つまりは「人を入れ替えればOK」という感覚。もちろん、中には違った見方のものもある。それは「制度の問題」というもの。
「今の政治家が問題なわけじゃない。今の制度では、誰が政治家になろうとうまくいかないのだ。もっときちんとした制度にすれば政治はうまくいくのだ」
――そういう考え。人ではなく、システムに問題があるというわけだ。
これらは、問題点は異なっているが、しかしいずれも「今ある問題を解決すればうまくいく」という考え方であるところに違いはない。そこに僕の中の違和感があったのだ。僕は思う。
そもそも、政治とは絶対にうまくなんかいかないものなのだ。……と。
例えば、「政治の腐敗」の問題というのがあるね。政治腐敗を考えるとき、「腐敗している政治家個人が悪い」という考え、「腐敗を生む今のシステムが悪い」という考えのどちらかに二分されているように思う。だが僕は思う。
そもそも、政治は腐敗するものなのだ。……と。
「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」というかの有名な言葉を今の人は知らないのだろうか。政治とは、権力の戦いである。である以上、それに関われば、必ず腐敗するのだ。「人が変われば……」とか「システムが変われば……」とかいう問題じゃない。腐敗しないということはありえないのだ、と思う。
この十年ばかりの間に、次々と新しい人間が政治の世界に入ってきては退場していった。社会も「次こそは」と期待を込めて新たな参入者を求めた。民主党然り、今の維新の会然り。だがいずれもうまくはいかなかったし、いかないだろうと思う。彼らは、時の政府を批判し、「自分たちならうまくいく」と訴えかけた。だが、それは間違いだったのだ。なぜなら、政治は、必ずうまくいかないものなのなのだから。それを「○○すればうまくいく」と訴えかけた瞬間、失敗は約束されるのだ。
民主党は失敗した。技術的な問題とか能力の問題とかいろいろと取り沙汰されるけれど、僕はその原因は「彼らが腐敗しようとしなかったから」だと思っている。彼らは、腐敗することを拒否した。だから権力をうまく使えなかった。僕は思う。
腐敗し、堕落する覚悟のない人間に政治家はつとまらない。……と。
権力を批判する人間が政治の世界に飛び込む、という姿を僕らはここ十数年ぐらいの間に数多く見てきた。僕はそれが不思議でならなかった。「権力を批判する」というのは、権力の対極にあるものだったはずだ。その立場の人間が政治家になるというのは、天使が冥界に落っこって悪魔になる以上にありえない話だと思っていた。
だが、権力を批判する立場だったジャーナリストなどが政治家に転身する姿を見ると、そもそも「権力を批判する側」もまた、最近何かを間違えていたのかもしれない、と思うのだ。権力を批判する人間が、権力に手を染めてはいけない。批判する人間は、最後まで当事者になってはならないのだ。
このところ、批判ばかりする人間がいると、「だったらお前がやれ!」という批判を受けることが増えてきた気がする。批判ばかりして自分じゃ何もできないくせに。そう白眼視されることに耐え切れず、「それならやってやろうじゃないか!」と権力の世界に入り込んでいく。そして、瞬く間に失敗する。そういう姿を嫌ほど見てきた。
権力を批判する人間は、決して権力に近づいてはならない、それが昔からのルールだったはずだ。もちろん、そうした態度は人からも批判されるだろう。自分では何もせず、批判ばかりする、そんな人間は卑怯者呼ばわりされるだろう。だが、僕は思う。
卑怯者呼ばわりされる覚悟のない人間に、批判者はつとまらない。……と。
その昔、政治が安定していた頃はどうだったか。権力者は堕落し腐敗し、そしてそれが故に真っ当に政治を動かしていた。批判者は権力に近づくことすらせず卑怯にも口先だけで批判をし、それが故に真っ当に権力を批判できた。彼らはいずれも「腐敗し堕落すること」「卑怯であること」を受け入れる覚悟があったのではないか。権力を手にする側、批判する側、いずれも権力に絡まれば「いい人」であることは許されない。悪人、ひとでなしとなる覚悟があったのではないか。
今、政治がうまくいかないのは、権力の周辺にいる人間が、「いい人」でいようと思っているからではないか。嘘つき、卑怯者、無能、裏切り者、そうした「人間のクズ」になる覚悟ができていないからではないのか。政治にたずさわる人間も、それを批判する人間も。自分のことを「立派な人、尊敬される人間」であろうと思っているからではないか。
腐ることを躊躇する人間に政治はできない。何が清廉潔白だ。日本中の人間を騙して手玉に取るぐらいのことができないで何が政治家だ。……そういう見方による政治の本は、やっぱり出ないだろうなぁ。
「だったらお前が書け」なんてことはいわないように。無理無理。僕は「いい人」だもん♥
コメント
コメントを投稿