敵がいる!

朝日新聞で「敵がいる」というルポを連載している。正直、最近の朝日新聞の記事や姿勢などには疑問を感じることも多いのだけど、このルポは久々に「読みたい」と思わせる。

既に4回目が掲載されており、読まれた方も多いと思う。これは、私他の身の回りにいる「敵」の話、ではない。私達の身の回りに「敵」を見出そうとする人々の話だ。

在日。北朝鮮。沖縄。生活保護。ここまでの4回の記事では、これらを「敵」とみなして攻撃する人々を取り上げていた。こうした、どこかに仮想敵を作って攻撃する人々というのは、ネットの世界ではざらに見られるけれど、それが具体的な形でメディアに取材されるということは今まであまりなかったような気がする。そうしたものをまとめて取り上げたということは、朝日の着眼の良さを褒めるべきか、いや、メディアが取り上げざるをえないほどにそうした動きが強くなってきているということなのだろうか。

例えば、反在日の動き。東京でたま~に一握りの人間がしょぼいデモで在日韓国人などを糾弾する活動をしている、というのは耳にしていた。だがそれは「誰も相手にしてない」ようなものであり、しかも「殺せ!」だのといった無駄に過激な雄叫びをあげているという時点で絶対に広まるはずのない動きだという安心感があった。――ところが、彼らに賛同する人間が少しずつだが増えているようなのだ。

また、生保の問題。以前からネットでは生活保護者を声高に非難する投稿などはよく見かけた。ただネットで叫ぶだけなら別に害もないだろうと思っていたが、最近になって自治体などで「生活保護受給者を監視し通報する条例」を作るところがぽつりぽつりと出てきているという。そういえば、しばらく前にニュースで見た記憶がある。生活保護でパチンコしている人を通報するような条例を考えてるらしい、という話。まぁ、「財産を隠して生活保護を受けてる」とか、「実は収入があるのに隠してる」とかいうのならまだしも、その人の言動をスパイするような条例はあり得ないと思っていたが……。どうやらこのところの世間の空気からすれば、あり得ないわけでもなさそうだ。

気持ち悪い。一部の人達の間で「悪」と断定された人々が、その一部の人間の間だけでなく社会の中にじわりと「こいつらは悪だ」という思想が染みだしていく、その現状。

何より気持ちが悪いのは、そうした人々が、自分たちの活動を「日本人としての義務感」だの「社会正義」だのといったものからくるものだ、と発言していることだ。




正義。また出たかこいつ。この「正義」という言葉、概念は、僕の中で「根性」の次ぐらいにキライなものになりつつある。いや、正義そのもの、正義本来のものを否定する意味じゃない。正義を振りかざす人間が、ということなのだろう。

人を否定する。貶める。引きずり下ろす。そうした「負」の動きを「正義」という言葉で正当化する。正義というのは、誰かを助ける、力になる、よりよりものにするためのものではなかったか。

在日は外国人でありながら特権を持っている。在日から特権を取り上げろ。それを正義の名のもとに口にする。なぜ、「在日だけでなく、すべての外国人にも同じように特権を与えよう!」とはならないのだ? そうなれば、そもそも「特権」ではなくなり、より多くの人が幸せになるのに。なぜ、負の方向にしか目が向かないのだ?

正義というものは、大抵の場合、正義として用いられない。全く別のものを正当化するために用いられる姿しか悲しことに僕は目にしたことがない。――僕も時として、「こいつら許せない! こいつらを懲らしめることが正義だ!」と思ったりすることがある。けれど、大抵の場合、その「正義」は、実は自分の中のジェラシーだの劣等感だのといったものを覆い隠すために用いられているだけであることがなんとなくわかっている。僕は多分、そうした「何かを誤魔化すための正義」以外の形で正義を使ったことがない。本当の、正真正銘の正義など僕には重たくて使えない。

何かを、誰かを敵とみなし、悪とみなし、それを糾弾し排除することで「社会が良くなる」「日本のためになる」かのように思い込んでいる人へ。あなたは、自分が振りかざす正義が「自分のもっとも後ろ暗いものの存在を隠すための便利な道具」として使われているに過ぎない、ということに気づいているだろうか。あなたは、自分が「正真正銘の正義」を使えるだけの素晴らしく立派な人間である、と本気で思えるだろうか。

日本を良くしたい、この社会を良くしたいという思いを胸に抱いている人。どこかに「今の社会を悪くしている敵」を見つけようとする前に、どうか考えてほしい。長い歴史の中で、特定の誰かを排除することでよりよい社会を作り出すことに成功した例などない、ということを。例えば、古代ローマ帝国のパックス・ロマーナの時代。例えば大唐という世界帝国の時代。それらの奇跡的な長く平和な治世は、あらゆる人々を排除することなく受け入れることで築かれたものだ。

人口減少。高齢化による労働人口の減少。日本はゆっくりと下り坂を歩み始めている。それを押しとどめるには、「いかにして、より多くの人々を日本の社会の中に受け入れるか」が重要なのではないのか。この社会から更に多くの人をはじき出すことで本当に日本の将来がよりよいものになると本気で考えているのか?

敵がいる! そう叫ぶ前に、考えよう。敵が「いる」のではない。あなたが敵を「作る」のだ。そしてその「敵になる人」は、ほんの少し考えを変えれば、あなたの味方にもなりうる人なのだ。


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