オリジナルな憲法なんていらない
憲法のまわりが騒がしい。
憲法記念日だからというわけでもないだろうが、昨日の新聞では改憲に関する記事がずいぶんとにぎやかだった。ちょっと前まで、改憲云々というのは「まぁ、いいんでないの」的な雰囲気がけっこうあったような気がする。が、ここにきて、どうやら現実味を帯び始めたためか、「おいおい、ちょっと待て。ほんとにやるのか?」という声も聞こえてくるようになってきた。
なにより、9条ではなく96条という「憲法改正に関する条文」から変えよう、という搦め手から攻めてきたところに、今回の改憲派の本気度を感じる。「憲法改正のための条文」から変えていく、というのは、いわばルール違反のやり方だ。諸外国では憲法を何度も改正している国もあるが、しかし「憲法改正のためのルール」を改正する、などという話は聞いたことがない。
試合にどうしても勝てないから、「ルールを自分に有利なものに変えれば勝てる!」などという発想が受け入れられるのか。少なくとも、現行の改正規定のもとに憲法を改正した実績があれば多少は言い訳もきくだろう。例えば高校野球の優勝チームが「俺たち、確かに優勝したけど、でも今の高校野球の規定はおかしいと思うから変えよう」というならわかる。だが一回戦で負けたチームが「このルールはおかしい、変えるべきだ」と叫んだところで普通は誰も耳を貸さないだろうに。――そうした、「ルール違反だろうがなんだろうがどーだっていいんだ、とにかく改正できりゃこっちの勝ちだ」といわんばかりのやり方に、「こいつら本気らしいぞ」というものを感じるのだね。
まぁ、96条問題についてはここでは置こう。もっと詳しい人が山ほど書いているだろうから。僕が最近の改憲論でどうにも合点がいかないのは、これだ。
「今の憲法は、米国から押し付けられたものだ。だから自分たちの手で憲法を作るべきだ」
これのどこがおかしいんだ、当然の考えじゃないか、と思った人。いや、おかしいだろ? だって、ここには、「今の憲法のどこがまずいのか、ダメなのか」といったことが全く含まれてないんだぜ? 中身は関係ない、ってことなんだぜ?
内容がまずいなら、もっといいものにしようってのはわかる。だが、「中身は別に関係ない」ってなら、逆に「もっとまずいものに変わってしまう」可能性もあるってことだ。というか、今の憲法はかなり高く評価されているものだと思うから、悪くなる確率のほうが圧倒的に高いんじゃないのか?
それにさ、思うんだよ。「自分たちの手で作るべきだ」という発想が、なぜ「よいもの」なのだろうか、とね。それは、本当に「よいこと」なのか?
日本人が作ったものじゃない。外国から押し付けられたものだ。だから変えるべきだ。日本人による日本人のための憲法を持とう、という発想。それこそが、僕にはもっとも「日本人らしくない発想」だと思うんだけどな。
外国から持ち込まれたものを取り入れて日本独自のものとする。それは、古来より日本人がもっとも得意とするやり方だろう。「今の憲法は米国から押し付けられたものだ」というが、「日本の平和憲法」というのは、世界中で高く評価される「日本が誇る憲法」となっている。世界のどこに行ったって、「あれは日本人が考えたんじゃない、米国が押し付けたものだろ」なんていう声は聞いたことがないだろう? 「あの憲法を持っている日本という国は素晴らしい」という声のほうが圧倒的に多いじゃないか? これぞ、日本の面目躍如たるところじゃないか。
「日本のものじゃない」なんてことを、そのものを否定する根拠としたら、日本そのものが成り立たない。じゃあ、日本のものじゃないから漢字をやめるか? 外国から渡来したものだから仏教文化を全部捨てるかね? もし大陸渡来説が正しいなんてことになったら天皇制を廃止するんですか? バカバカしい。
古来より、日本は「外国からもらったものを日本の文化に組み入れて発展してきた」国なんだ。それこそが、日本のアイデンティティじゃないのかい? 外国から押し付けられた憲法を「日本が誇る平和憲法」にしてきた、それこそ「いかにも日本らしい」やり方じゃないか。今や、この平和憲法以上にオリジナリティ豊かな憲法は他にないんじゃないかい?
「日本人の手による憲法を」という、その人は、そもそも、どういう憲法の草案を持っているんだ? そして、それは「世界に今まで存在しなかった、何から何まですっかりオリジナルなもの」なのかね? 既に外国の憲法で実現しているものは一切含まれていない?
「そんなもの作れるわけがないだろう。そりゃ、ある程度は既に外国であるものからよい点をもらってきて、それを踏まえて作るのさ」というなら、じゃあ今の憲法と同じじゃないか。どこが違うんだ? 日本人が作ったなら中身は既にあるもののコピーで全然OKなのかい? それが果たして「日本の手による憲法」なのか?
「日本オリジナルの憲法」って、一体何なんだ? 今ある「世界でもっともユニークなオリジナリティ高い憲法」を捨てて、「自分たちの手で作ったというだけの、そこらからかき集めてきた寄せ集めのコピー」に置き換えることが「日本人の作った、日本人らしい憲法」なのかい。かつての「メイドインジャパン」の悪夢を復活させたいのかね?
「すいか」(木皿泉脚本の傑作ドラマ)でも、漫画雑誌の編集長がいってたぞ。
「そんな中途半端なオリジナリティなんていらないの」
憲法記念日だからというわけでもないだろうが、昨日の新聞では改憲に関する記事がずいぶんとにぎやかだった。ちょっと前まで、改憲云々というのは「まぁ、いいんでないの」的な雰囲気がけっこうあったような気がする。が、ここにきて、どうやら現実味を帯び始めたためか、「おいおい、ちょっと待て。ほんとにやるのか?」という声も聞こえてくるようになってきた。
なにより、9条ではなく96条という「憲法改正に関する条文」から変えよう、という搦め手から攻めてきたところに、今回の改憲派の本気度を感じる。「憲法改正のための条文」から変えていく、というのは、いわばルール違反のやり方だ。諸外国では憲法を何度も改正している国もあるが、しかし「憲法改正のためのルール」を改正する、などという話は聞いたことがない。
試合にどうしても勝てないから、「ルールを自分に有利なものに変えれば勝てる!」などという発想が受け入れられるのか。少なくとも、現行の改正規定のもとに憲法を改正した実績があれば多少は言い訳もきくだろう。例えば高校野球の優勝チームが「俺たち、確かに優勝したけど、でも今の高校野球の規定はおかしいと思うから変えよう」というならわかる。だが一回戦で負けたチームが「このルールはおかしい、変えるべきだ」と叫んだところで普通は誰も耳を貸さないだろうに。――そうした、「ルール違反だろうがなんだろうがどーだっていいんだ、とにかく改正できりゃこっちの勝ちだ」といわんばかりのやり方に、「こいつら本気らしいぞ」というものを感じるのだね。
まぁ、96条問題についてはここでは置こう。もっと詳しい人が山ほど書いているだろうから。僕が最近の改憲論でどうにも合点がいかないのは、これだ。
「今の憲法は、米国から押し付けられたものだ。だから自分たちの手で憲法を作るべきだ」
これのどこがおかしいんだ、当然の考えじゃないか、と思った人。いや、おかしいだろ? だって、ここには、「今の憲法のどこがまずいのか、ダメなのか」といったことが全く含まれてないんだぜ? 中身は関係ない、ってことなんだぜ?
内容がまずいなら、もっといいものにしようってのはわかる。だが、「中身は別に関係ない」ってなら、逆に「もっとまずいものに変わってしまう」可能性もあるってことだ。というか、今の憲法はかなり高く評価されているものだと思うから、悪くなる確率のほうが圧倒的に高いんじゃないのか?
それにさ、思うんだよ。「自分たちの手で作るべきだ」という発想が、なぜ「よいもの」なのだろうか、とね。それは、本当に「よいこと」なのか?
日本人が作ったものじゃない。外国から押し付けられたものだ。だから変えるべきだ。日本人による日本人のための憲法を持とう、という発想。それこそが、僕にはもっとも「日本人らしくない発想」だと思うんだけどな。
外国から持ち込まれたものを取り入れて日本独自のものとする。それは、古来より日本人がもっとも得意とするやり方だろう。「今の憲法は米国から押し付けられたものだ」というが、「日本の平和憲法」というのは、世界中で高く評価される「日本が誇る憲法」となっている。世界のどこに行ったって、「あれは日本人が考えたんじゃない、米国が押し付けたものだろ」なんていう声は聞いたことがないだろう? 「あの憲法を持っている日本という国は素晴らしい」という声のほうが圧倒的に多いじゃないか? これぞ、日本の面目躍如たるところじゃないか。
「日本のものじゃない」なんてことを、そのものを否定する根拠としたら、日本そのものが成り立たない。じゃあ、日本のものじゃないから漢字をやめるか? 外国から渡来したものだから仏教文化を全部捨てるかね? もし大陸渡来説が正しいなんてことになったら天皇制を廃止するんですか? バカバカしい。
古来より、日本は「外国からもらったものを日本の文化に組み入れて発展してきた」国なんだ。それこそが、日本のアイデンティティじゃないのかい? 外国から押し付けられた憲法を「日本が誇る平和憲法」にしてきた、それこそ「いかにも日本らしい」やり方じゃないか。今や、この平和憲法以上にオリジナリティ豊かな憲法は他にないんじゃないかい?
「日本人の手による憲法を」という、その人は、そもそも、どういう憲法の草案を持っているんだ? そして、それは「世界に今まで存在しなかった、何から何まですっかりオリジナルなもの」なのかね? 既に外国の憲法で実現しているものは一切含まれていない?
「そんなもの作れるわけがないだろう。そりゃ、ある程度は既に外国であるものからよい点をもらってきて、それを踏まえて作るのさ」というなら、じゃあ今の憲法と同じじゃないか。どこが違うんだ? 日本人が作ったなら中身は既にあるもののコピーで全然OKなのかい? それが果たして「日本の手による憲法」なのか?
「日本オリジナルの憲法」って、一体何なんだ? 今ある「世界でもっともユニークなオリジナリティ高い憲法」を捨てて、「自分たちの手で作ったというだけの、そこらからかき集めてきた寄せ集めのコピー」に置き換えることが「日本人の作った、日本人らしい憲法」なのかい。かつての「メイドインジャパン」の悪夢を復活させたいのかね?
「すいか」(木皿泉脚本の傑作ドラマ)でも、漫画雑誌の編集長がいってたぞ。
「そんな中途半端なオリジナリティなんていらないの」