子供の喧嘩か、「食品偽装」は

まったく嫌になる。このところ、毎日のように報道される「食品偽装(?)」とかいう問題だ。昨日はどこそこのホテルが、今日はどこそこのデパートが……と毎日のように「ホゲホゲをゲロゲロと偽装していました!」とか伝えている。

バカじゃあるまいか、と思っているのは僕だけではあるまい。

まぁ、「国産牛」に外国産が混じってたとか、高級和牛が実は成型肉でした、とかいったものは確かにまずいな、とは思う。だが、「お袋の味なのに中年男性が作ってる」とか、今日にいたっては「パンの表記から、焼きたてを削除」なんてことが報道されるようになったのを見てると、一体、誰が、何のために、何を目的としてこんなくだらない報道を続けているのか理解不能な状況になりつつある気がする。

そもそも、こうした製品や商品の「名前」なんてのは、その名の通りに受け取るほうがおかしい。BMWは「駆け抜ける喜び」と宣伝してるが、「駆け抜けたが別に喜びは感じないぞ」なんてクレームをつけるやつだっているかも知れない。だが、そんなことにいちいち対応なんてしないだろう。これは、対応するほうがおかしいと誰だってすぐにわかる。

一連の報道にしたところで、その多くは「んなもの、文句つけるほうがおかしいだろ」と、少し前なら誰もが思ったものばかりじゃないだろうか。「おふくろの味なのに、なんで中年男性のコックが作っているんですか?」なんてのは、お笑いのネタにはなるだろうが誰もまともには取り上げなかった。「ミラノ風カツレツってあるのに東京で作ってるじゃないですか」なんてまともな人間なら考えない(だからミラノ「風」なんだろが)。

じゃあ、なぜ、今、こんなバカげたくだらない報道が次から次へと伝えられるのか。僕には、食品偽装などより、この「今こそ重箱の隅をつつきまくってやれ」という報道姿勢のほうが圧倒的に問題ではないか、と感じるのだ。

しばらく前から、SNSなどの投稿が既存の報道を超えるようになりつつある。大手メディアは動きが鈍い。TwitterやLINEで瞬く間に広まった出来事が、ようやく数日後のテレビのニュースで取り上げられたりする。

だから、メディアはSNSなどで急速に広まる話題に敏感になる。何かわっと話題になると、「遅れたら大変」とばかりにそれをとりあげ、「我がメディアはネットの味方」であるかのように見せようとする。そうした姿勢が今回のような馬鹿騒ぎを引き起こす遠因となったんじゃないか。

確かに、ネットは速い。事件の発覚も、情報の拡散も、既存メディアはネットにはかなわない。だが、そも「速いから偉い」のだとなぜ思うのか。例えば新聞には、速報としての役割だけでなく、時間をかけてじっくりと取材したルポのたぐいも載っていて、そうした広角度の取材姿勢が新聞の価値を醸成していたのではないか。

ネットのニュースメディアに「ロケットニュース24」というサイトがあるが、ここのキャッチは、「昨日のニュースをいち早く」だ。このゆるさがなかなかおもしろい。そして、案外とファンが付いている。ネットの価値は、実は「既存メディアより速い」ことにあるわけではない気がする。それよりも、既存メディアにはない「多様性」が、ネットメディアの魅力となっているのではないか。

そのことに気づかず、ネットの後追いに血道をあげている限り、既存メディアはネットには勝てない。そのことに気づいて欲しい。「おふくろの味は、誰が作ってもおふくろの味でいいんだ」ということを伝えるのも、既存メディアの役割だったはずじゃないのかい?

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