今日、買った新書を暇を見ながら読んでいたのだけど、その中で不意に「靖国神社」というのが出てきた。それは子育てというか教育というかそういう関係の本(タイトルなんかはどーでもいい。どーでもいい類いの本なのだ)だったのだけど、その中で、引きこもりだのなんだのといった問題のある子を靖国神社に連れて行く、という記述があったのだな。この国を守るために亡くなった人たちをどう思うか、そうした人たちが守ってきた日本という国を私たちはどうたらこうたら(内容はどーでもいい。どーでもいい内容の本なのだ)いった記述があって、ちょっと不意打ちを食らってしまった。実用の本と思って読んでいたらいきなり思想の本だということがわかってしまった的な不意打ち感、だ。
今回、靖国神社がどうこうということがいいたいのではない。のだけど、靖国神社がどうこうということをつくづくと考えてしまったのだ。うん、自己矛盾した文章だな。すばらしい。――つまりだね、なぜ、人は「靖国神社に祀られている英霊たちによって日本という国が守られた」と考えるのだろうか、ということを考えてしまったのだ。
日本という国を守るために亡くなった方たちが靖国に祀られている。これは、正しい。別に異議はない。が、靖国に祀られている人たちが日本という国を守った。これは、違う。この違いを違いとして認識できない靖国擁護を今まで幾度となく耳にしてきて、僕は少々耳タコだったのだろう。
彼らは、日本を守るために戦い、亡くなった。が、日本という国を守ってきたのは、彼ら「だけ」ではない。この本の著者(誰かはどーでもいい。どーでもいい著者なのだ)は、「日本という国を守るために戦い、亡くなった彼らに、現在の私たちは顔向けできるような生き方を出来ているか」というようなことを書いていたのだな。
そういえば、夏休みに倉本聰さんのドラマがあったらしい。戦争で戦い亡くなった人たちの霊が現代にやってくるという話だったそうだ。見てないけど、倉本さんのことだ、今の日本はなんたらかんたらという話なんだろう。(少なくとも「戦時中よりずっとすばらしい国になってよかったよかった」という話じゃないだろうことは見なくても想像がつく)
こういう「日本のために戦った人たち」=「日本という国を支えてきた」という図式を目のあたりにすると、頭のどっかで反射的に「違う!」という声がするのだね。そうじゃない。確かに彼らは日本のために生き、死んだ。だがこの国を支えてきたのは、断じて彼らではない。そう反射的に思ってしまうのだ。
日本という国を何千年も前からずっと支え続けてきたのは、敵と戦ってきた人々では断じてない。生まれてから死ぬまでひたすらに田を耕し畑を耕し子を育ててきた名もない民たちだ。決して、戦って国を守った人間が、この国を支えてきたんじゃない。
歴史観というのか、歴史というものを考えるとき、「○○という人間が××をした」的な見方をすることがどうしてもできない。歴史は常に、名もなき民によって作られてきたのだ、そういう確たる思いが頭の中のどこかにある。
「歴史に名を刻む者の中に英雄はいない。真の英雄は、常に名もなき者だった」
この言葉を残したのはロマン・ロランだったか、ユゴーだったか。どこかの本のページの間に埋れかけていたこの言葉を目にしたとき、自分の中に確信が生まれたのだ。そうだ、そういうことだったのだ。そういう確信が。この世の中を支え続けてきたのは、常に誰からも注目されない名もなき者たちだったのだ、そういう確信が。
英雄史観というのがある。司馬遼太郎大先生なんかがそうなんだけど、「歴史は、あるとき登場したスーパーマンによって作られた」的な考え方だね。これが、どうしても受け入れられない。歴史上の偉人というのは、ただ歴史の針をわずかに進めたり遅らせたりしただけであって、そいつがいようがいまいが歴史は遅かれ早かれ動いていっただろう、そういう思いがある。いわば天気予報の「晴のち雨」みたいなものだ。雨が降らなくてもはずれたわけじゃない、ただちょっとばかりずれただけだ。明日か明後日か1週間後か1年後かには、必ず雨は降るのだ。「どの雲が降らせたか」などまったく重要じゃないだろう。どれが雨を降らせる雲かを探すことなど無意味だ。雨は、無数の水蒸気が集まれば必ずどこかで雲が湧き降るのだ。
この本もそうだったのだけど、こういう「戦って死んでいった者たちが……」という話になると、どうしてもそこに「彼らは命をかけてこの国を支えてきたのだ、だが戦わなかった者たちはそうしてこなかった」的なものを感じ取ってしまうのだった。そういうものを感じ取ってしまうと、つい「冗談じゃないぜ」と思ってしまうのだな。日本を支えたのは、戦地で戦い死んで者たちだけなのか。その傍らで、戦時中もただ黙々と田畑を耕し続けたじっちゃんばあちゃんおかあちゃんたちこそが、本当に日本という国を支えてきたんじゃなかったのか。
そこんところ、どう思うのだろうか? この本を書いた人は。ちょっとだけ聞いてみたい気がする。
コメント
コメントを投稿