コピーしよう!


昨年末からのAndroid攻勢は、強烈だった。既に日本でもスマートフォンの販売台数は、Androidがiphoneを上回ったようだ。正直、ほっとしている。何がほっとするかというと、これでようやくAndroidを使っていても「iphoneのコピー」と言われなくなってくると思うからだ。

どうも人は、なにかメジャーなものが出てきて、その二番煎じが登場すると、すぐさま「コピー」というレッテルを貼りたがる。今年はタブレットの年になるといわれているが、Androidタブレットが登場すると、おそらく多くのところで「ipadのコピー」と言われてしまうのだろう。

もちろん、それまでどうやってもメジャーになれなかったタブレットコンピュータを「ipad」という形でメジャーにしたアップルには敬意を表するし、その形だけをコピーしたもので商売するのは許されないと思っている。だが、だからといって何でもかんでも「コピーだ」というのも、それはまた違うだろうと思うのだ。

例えばハードを作って、改造iOSをコピーしてインストールして売っていたら「ipadのコピーだ」といわれても仕方ないだろう。あるいはMacのコピー品にあるように、中身はWindowsでもアップルマークをつけて「Macだよ」と売っていたら、そりゃあ確かにコピー品だろう。その昔、香港製のtopaz IIというapple ][コンパチを使ってたが、これはapple ][のROMをコピーして焼いて、基盤もほぼそのままコピーしたという、「正真正銘のコピー品」だった。コピーってのはこういうのをいうんじゃないのか?

だが、ハードもipadのコピーではなく、OSもまったく別のきちんとしたOS、外観は確かに似ているが、これはコピーというべきなんだろうか。今後、おそらく次々と登場するだろうAndroid搭載タブレットは、すべてipadのコピー扱いされるのか。コピーとそうでないものの線引きはどこでするんだ?

以前、一部で話題になった中国製のAndroidタブレット(apadとかipedとかいうやつ)は、確かにパッケージもipadに似せてるし、デザインもそっくりだ。意識してipadの真似をしている。まぁ人がこれをコピー品扱いするのもわからなくはない。だが、メディアまでが、なんでもかんでも「ipad/iphoneのコピー」という目で見るのは勘弁して欲しい。

そもそも「外見が似ている」「名前が似ている」のをもって「コピーだ」っていうなら……日本の製品の大半はコピーになっちまわないかい? 家電はもちろん、例えば日用品でも洋服でも靴や鞄など雑貨でも、有名ブランドのデザインをいかにも拝借してますね、といった製品が反乱しているじゃないか。要するに、いわゆるコピー品は「なりふり構わずコピーした」のに対し、日本のモノマネ品は「法的に突っ込まれないように気を使ってコピーした」という違いがあるだけじゃないのかい?

しばらく前に、イタリアの高級ブランドD&Gが日本から撤退したとき、本国の取締役が、「日本市場に氾濫するD&Gの模倣品が大きな障害になった」とコメントしていた。コピーを「コピーだ」といって堂々と売っているアジア諸国と、コピーしておきながら「これはオリジナルです。コピーではありません」と売っている日本。どっちがご立派な商売なんだろうかね?

僕は、別に「コピーばんざい、どんどんコピーしろ」といってるわけではない。コピーは、そりゃあいけません。制作者の権利は尊重しなければいけませんよ、もちろん。だけど、それをあまりに広げてなんでもかんでも「コピーだ」としてしまったら、逆に作り手の首を締めることになってしまわないか?

どんなにコピーしようと頑張っても、どうしても真似できない。コピーが出てくれば来るほど、逆に「オリジナルのすごさ」が明確になってしまう。――おそらく、「最大のコピー対策」は、そういうことじゃないだろうか。そうしたものを作れたなら、「コピーするな!」と叫ぶ必要もなくなるんじゃないか。アップルは、おそらくそれをやってきた。アップル製品のコピーがどんなに出てきても、アップル製品は売れる。

「コピー禁止!」と声高に叫ぶ人たち。一度ぐらい、こういえないか。


「コピー上等。コピーできるもんならやってみな」


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