援助という名の祭(3)

今回、僕はこの災害について何か書くことに大きなためらいがあった。それは、稀有の出来事に頭がついていかないということもある。あまりに考えるべきことが多すぎてまとめることができないこともある。だが、それ以上に僕の中にあったのは、ある「思い」だった。それは――。

――それは、「僕が暮らすこの千葉の地も、また被災地なのだ」という思いだった。誰も認めてはくれないけれど。誰も注目はしないけれど。けれど、今も尚、多くの人々が避難所に暮らしている。千葉は、被災地なのだ。

もちろん、我が家は大きな被害はなかったし、そういう意味では僕は被災者ではない。けれど、家からほんの数キロ離れたコンビナートが鎮火したのは昨日のことだった。原発と比べれば小さいものだったろうが、それでも震災当日、黒い雨の降る中、家の中まで爆音が響き窓からきのこ雲が立ち上るのを見たときには生きた心地もしなかった。

だが、メディアは「より悲惨な絵」を求めて東北に向かい、千葉や茨城の被災地は後回しにされた。そして、その「後」は、二度と回ってはこないのだった。人々は、もっと心から涙できる惨状を求め、千葉を素通りする。――そうして、後には「忘れ去られた被災地」が累々と横たわる。

僕ら千葉や茨城の人間は、そうして「被災者ではない、部外者」の顔をして生きていかなければならなくなる。募金する人々も、津波で根こそぎ街を奪われた宮城や岩手の地にお金を届けようとはするが、同じ津波で家を奪われた千葉の人々を支援しようとは思わないだろう。更にいえば、同じ津波で亡くなられたカリフォルニアの遺族を支援しようとは誰も思わないだろう。東京でも埼玉でも震災の犠牲者はいる。だがそれらは「死者数千人」という圧倒的な数の前に忘れ去られていく。

人々は、「より悲惨かどうか」でランク分けされ、上位の者から順に救済の手が差し伸べられる。それは、人々の困窮の度合いを考えればある意味正しいのかも知れない。だが一方で、忘れ去られた被災者たちはどうすればいいのだろう。たいした被害ではない、自分で立ち直れ、もっと困っている人がいるのを忘れるな。そう当たり前のように見られるのだろうか。

ここに、僕の困惑の原点がある。「誰もかれも差別すべきでない」というなら、僕は差別することなく、今、もっとも苦しんでいるアフリカの人々を支援する。もし「もっと身近な人から考えるべきだ」というなら、僕は同じ千葉に住む人々を支援する。だが、そのどちらも、今は正解ではないのだ。正解は、僕の身近な暮らしからは縁遠い、そしてリビアの子供たちほどは困窮していない東北の人々を支援することなのだ。そうしなければ僕は非難されるのだ。震災の支援に奔走する、心正しき人々に。

もっと自由がほしい。息が苦しい。本当に、自分の思うがままに人を支援できる空気が欲しい。忘れられた被災地に住む、被災者でない僕は、その自分が置かれた立場のちゅうぶらりんさに困惑している。

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