Google+の「ユルイつながり」は世界を変える!……かも

Google Plus。この週末の数日間、完璧にこいつにとりこまれていた。たかだかネットの一サービスにここまではまり込んだのは久しぶりだ。世間ではFacebookの大改革があちこちで話題となっているけど、僕にとっては話題の中心はGoogle+だ。

何がそんなにGoogle+へと夢中にさせたのか。――そもそもの発端はGoogleが「サークル」を共有する機能を開始したところから始まる。Google+では、気に入った人を「サークル」というのに放り込んで、その人の投稿をフォローすることができる。これはFacebookの友達のように申請しないといけないものでなくて、こっちが一方的に入れてしまえるというものだ。Google+のストリームに流れる投稿を眺めて、「こいつ、面白いかも」と思ったらサークルに入れる、するとそいつの投稿がストリームに流れる、というわけ。

その、本来ならものすごく個人的なものであるサークルを投稿し、共有できる。このことの意味がわかったのは、実際に共有サークルを利用してからだ。その少し前からGoogle+ではゲームがスタートしていて、Facebookで人気のCityVilleも開始されていた。僕もちょこっとやってみたのだけど、なんだかよくわかんないしどうすっかな……という気分でいたのだ。

そこに、「CityVilleで遊ぶ人、集まれ」というサークルが流れてきたのだ。何の気なしにそれを自分のサークルに入れた途端、すべてが変わった。

流れてくる、流れてくる。英語、ロシア語、スペイン語、中国語、韓国語、アラビア語、なんだかわからない東欧の言語……。僕のストリームは、ものすごい勢いで流れ始めた。その流れは、僕を圧倒した。とりあえず、武器がいる。慌ててChromeストアに行き、Google+の投稿を翻訳するGoogle翻訳プラグインを投入。ワンクリックですべての投稿を日本語に翻訳できるようにする。すると、ものすごい勢いで流れるストリームから、世界中の人々の声が聞こえ始めた。

Facebookにもストリームはある。けれど基本は友達を申請して許可してもらって……という方式だから、つながるのは「友達の友達」といった安全確実な相手ばかりで、たいていは同じ日本人。新たにフォローをする機能も追加されたけれど、それとて「フォロー」であって、ただ一方的に相手の投稿を眺めるだけだ。Twitterでは、こちらがフォローしたい相手を追加していくことはできる。だけど、そうしてフォローされる人の大半は、「知人」か「有名人」だ。例えば、南米の地方都市に住むおじさんをフォローしよう、なんて普通思うかい?

Google+は、勝手に相手を自分のサークルに入れてフォローすることができる。ただ眺めるだけでなく、もちろんコメントを返すこともできるし、他のコメントをした人(自分とは縁もゆかりもない、その人のフォロワー)を勝手にサークルに入れることもできる。Twitterのように一方的にフォローできるが、それだけでなくその相手にコメントし、友達でもないのにやりとりできる。

またフォローした相手のプロフィールにはたいていその人のフォロー相手が表示され、そこから別の人のプロフィールに、更にまた別の人に……と、次々とつながりをたどっていくうちに、まったく見ず知らずの面白い人に行き着いてしまったりする。重要なのは、それらが皆、有名人でもなんでもない、ごく普通の人たち、ということだ。これは、そうだ昔やってたアマチュア無線に似ている。世界中の人とダイレクトにつながれる、そういう道具を、実に30年を経て再び手にしたのだ。

ストリームを読むのに疲れてゲームに移ると、またもやものすごいものが待っていた。何十件ものメッセージの山。世界中のどこの誰かも知らない人たちから「一緒にゲームで遊ぼうよ~」とコメントが届いていた。どうやら、あのCityVilleサークルの人たちだ(そこにはなんと250人も入ってた)。なんだかよくわからないうちに次々届くメッセージを処理していく内、ぼこぼことCityVilleに「お隣りさん」が増えてきた。どれもこれも日本人じゃない。ロシア人、中国人、米国人、たぶん、どっか東欧の人、世界中からお隣さんがやってきた。いい気になって僕も世界中のあちこちの街に出かけていった。

……こんなこと、一体誰が想像したろうか。世界の、まったく出会うはずのなかった人たちと意思疎通がはかれるなんて。Google翻訳で出てくる日本語はわかりにくいが、しかしだいたいの意味はわかる。面白い投稿には、こっちも簡単なコメントを翻訳して投げ返す。怒り狂ったりせず、サークルから外されているわけでもないところをみると、それなりに意味は通じているようだ。

そうやって、時には韓国語、ときにはロシア語、ある時はアラビア語で投稿した。向こうの知り合いから変な目で見られたこともあったようだけど、そうやってやり取りをしていくうちに、なんとなく確信が生まれたのだ。これはすごい。Google+は、世界を変えるかも知れない。そういう確信を。

Facebookは、ますます人をしばりつけ、そこからありとあらゆる個人情報を絞りとろうとしている。それは、ソーシャルの方向を考えれば、ある意味、当然行き着く方向だろう。この人間が何を考え、何に興味を持ち、何をしたのか。そうした情報の蓄積は、大きな力となる。

だが、ソーシャルネットのパワーは、そうした「一人ひとりのあらゆる個人情報を吸い取る」という方向にのみにあるのだろうか。それとは全く別の方向に、また新しい世界があるんじゃないか。

Google+の、この「ユルいつながり」は、ひょっとしたらものすごいパワーかも知れない。先日、とある人間の投稿が、別の人に共有され、共有され、更に共有され、僕のストリームまでたどり着いた。その人は、病気で全身のほとんどが動かない。だが世界とつながっていたい。誰でもいい、僕をサークルに入れてくれ。そういう投稿だった。

多くの人が彼をサークルに入れた。僕も入れた。Google+には、「サークル外から」という機能がある。これは、「自分はサークルに入れていないけど、自分をサークルに入れている人」の投稿をまとめて流すストリームだ。つまり、みんなが彼を勝手にサークルに入れれば、彼の「サークル外から」のストリームに、世界中のフォロワーの投稿が流れるのだ。そう、Google+のサークルは「一方的」なものと思われがちだが、この「サークル外から」により、実は双方向に機能するようにできているのだ。

彼は、そうやってたった1つ投稿をしただけで、その投稿を共有しフォローする世界中の人々の声をいながらにして聞くことができるようになる。彼は、世界とつながれるのだ。これは、Facebookではありえない。Twitterでもだ。自分で、フォローしたい相手を探し出し、それを自分のフォロワーに入れる。そういうことを自分の手で行わなければ、誰ともつながることはできない。だがGoogle+では、それが可能だった。

さまざまな人間が、さまざまな考え方、さまざまな意見を投稿する。めちゃ面白い写真や動画もあるし、どこの国かも定かでないニュース記事も流れてくる。真面目な主張、挨拶や叫び声。どれもこれも、大勢のフォロワーがいることを意識した著名人の計算しつくされた投稿ではない、ごく普通の人の、ごく普通の生活から生まれた声だ。

こうして、ごく当たり前の暮らしをする人々の声を聞くことが、世界をつなげていくことになるんじゃないだろうか。世界各地のさまざまな揉め事、紛争は、お互いの国の人々をお互いに直接知らないことから起こるんじゃないか。この世に、「国」という人間はいない。そこにはごく普通の人々が暮らしているのだ。そうした人々の声を直接聞くことができる。僕らが何を考えているかも直接伝えることができる。そうしてさまざまな国の、そこに存在し暮らしている、きちんとした名前のある人々と知り合うことで、その国に対する偏見や差別意識は薄まっていくんじゃないのか。

Google+は、世界中の人々を、ものすごくいい加減に結びつける。この「いい加減さ」こそが、大げさな話、世界平和には必要なのだ。といってみたりする。

既にmixiやFacebookやTwitterをやっていて、「これで十分だよ」と思っている人。あなたのフォローする人々から、知人友人、日本人、有名人をすべて除いてみてください。何人が残りますか? あなたと縁もゆかりもない、世界のどこかに暮らす人々が何人そこに残っていますか? インターネットという世界中の人々とつながることのできるツールを使っているのに、なんてもったいない。そう思わない?

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