見たか? 世紀のビデオチャットを。そう、10月8日、日本時間で午後5時半。ダライ・ラマと南アのツツ大司教が、Google+のHangout(ビデオチャット)で会談したのだ。もちろん、2人がこっそりやったわけじゃない。それはYouTubeで中継され、世界中の人間が目にすることとなった。
僕も見ていた。正直いって、YouTubeでの中継ということなら、別に何ら新しいものはない。だが、これはGoogle+のビデオチャットっで行われているのだ。そしてそれを僕らが眺めているのだ。実際にダライ・ラマの顔が映し出されると、けっこうどきどきした。そしてそれは実際に始まった。……本当にやってるよ! 頭の中で叫んだぜオレは。
途中で画像は止まるし、音は途切れるし、決していい放送じゃなかった。だが、いいんだ。これは、最初の一歩なんだから。なにか変わるかも知れないという期待を抱かせてくれただけで十分目的は果たせたんだ。
Twitterには有名人が大勢いて、世界中にフォロワーがいる。Facebookもファンページを作り、有名人がページを持つようになった。が、Google+には、そうしたファンページの機能もない。初めてアカウントをとったとき、「こんな人達をフォローしてみよう」と有名人が紹介されるけど、IT関係は豊富だがそうでない文化人はあまり多くないし、正直、こうした点においてはGoogle+はまだまだだと思っていた。もっと世界の著名人を引き入れてフォローできるようにしなきゃアカウントは増えないぞ、そう思っていた。
ところが、奴らはとんでもない人間を連れてきてしまった。ダライ・ラマとツツ大司教。一体全体、誰が「Google+でダライ・ラマのコメントをフォローできる」時代がやってくるなんて想像したろうか。これにはザッカーバーグもひっくり返ったろう。Google+は、まったく違うところを見ていたのだ。
時として僕らは、知らずに物事を人気投票で決めてしまっている所がある。iPhoneはauとSBとどっちがいいか。どっちが安いか、どっちがどれだけ早いか。Facebookにはどんな有名人がいるのか、Google+はどうなのか。そうやって「数」とか「人気」とか「値段」とか、そういったわかりやすい、ものすごく下世話な一つの基準で物事の善し悪しを判断してしまう。
だが、それがすべてなわけじゃない。世の中にはさまざまな物差しがある。どの物差しを使うかによって物事の見方はまるっきり変わる。
Google+はFacebookに勝つか。――そもそも「勝つ」って何だ? どっちの利用者が多いか、どっちの収益が上か、そんなもので僕らは両者の勝ち負けをはかろうとしていたんじゃないか。だが、そもそも両者は目的も目指すものも違うはずだ。そこのところを僕らは考えていたろうか。
「Google+の目指すところは、IT技術による世界平和の実現です」
――もし、こんなことをラリー・ページがいったりしてたら、「なんだこの大法螺吹きは」と誰しも思ったに違いない。だが、今日、お二方のライブチャットを見ていて、ひょっとしたらGoogleの連中は、そういうことを本気で考えていたりするのかも知れないな、と思ってしまった。うん、ありえないよそんなのは。どこの世界に「会社の営業目標は世界平和の実現」なんてところがある? 逆ならわかる。「世界征服」ならあってもいい。
だが、Googleは世界を等しくつなぐことで、どのような権力も奪うことのできない力を世界中の人々に与えつつある。「アラブの春」はその象徴だろう。世界中の、権力で国民を押さえつけているところは、みんななんとかしてインターネットから庶民を切り離そうと躍起になっている。
インターネットというものを世界の人々を救う武器に。それはありえない話ではないのかも知れない。中国の若者がGoogle+でダライ・ラマをフォローできる時代が来たりしたら、これは、ものすごいことじゃないだろうか。国家や政府を人は超えることができるとしたら。
僕は今、密かに期待していることがある。まぁ、絶対に有り得ないだろうけど。もし、もしもだよ。Google+に、ローマ法王がアカウントを取得したら……。イスラム、仏教、世界の主な宗教、宗派の指導者がGoogle+のアカウントを取り、お互いにHangoutし話したりできる時代がやってきたら。世界の主要国の指導者が、世界中の人々が見ている中、ビデオチャットで会議できたら。お互いの発言を共有し合い、コメントし合う、それを世界中の人間がフォローできるとしたら。なにか、世界は変わるんじゃないか、良い方向へと歩み始めるんじゃないか……という期待を抱けないか? もちろん何も変わらないかも知れない、だけど何か可能性を感じないか?
僕のサークルの中には、ダライ・ラマとツツ大司教がいる。特にツツ大司教はなかなか気に入ったようで、既にいくつも投稿をしている。こんな人物をフォローできる時代が来るとは思わなかった。本当に。そして彼らも、何のメディアも通さず、直接に世界に向けて発信できる窓口をこんなに簡単に持てるとは思わなかったんじゃないだろうか。彼らはいつでも自分の思いを発信できる。一言書けば、おそらくは何万何十万といるフォロワーによって数十分で世界中に広まることだろう。ジョブスが亡くなったときのGoogle+のストリームを僕はよく覚えている。わずか数分の間に、僕のストリームはジョブス一色となった。どこかでその発表があって5分後にはGoogle+にアクセスしていた世界中の人間がそのことを知っていた。この力を、知恵以外に何の力も持たない賢者が使えるとしたら、それは大きな武器となる。
今日、Google+は、大きな一歩を踏み出した。そう思う。Facebook? 小さい小さい。そんなちっぽけなソーシャルネットワークの雄なんて目指してないぜ。Google+が目指すのは「世界平和」だ。どうだ、TwitterにFacebook。ついてこれまい。そうほくそ笑んでるラリー・ページの顔が目に浮かばないか? 数で勝つんじゃない。その技術が世界に暮らす末端の人々をも幸せにできるか?だ。もし本当にそれができたら、その技術こそ本物だ。
僕も見ていた。正直いって、YouTubeでの中継ということなら、別に何ら新しいものはない。だが、これはGoogle+のビデオチャットっで行われているのだ。そしてそれを僕らが眺めているのだ。実際にダライ・ラマの顔が映し出されると、けっこうどきどきした。そしてそれは実際に始まった。……本当にやってるよ! 頭の中で叫んだぜオレは。
途中で画像は止まるし、音は途切れるし、決していい放送じゃなかった。だが、いいんだ。これは、最初の一歩なんだから。なにか変わるかも知れないという期待を抱かせてくれただけで十分目的は果たせたんだ。
Twitterには有名人が大勢いて、世界中にフォロワーがいる。Facebookもファンページを作り、有名人がページを持つようになった。が、Google+には、そうしたファンページの機能もない。初めてアカウントをとったとき、「こんな人達をフォローしてみよう」と有名人が紹介されるけど、IT関係は豊富だがそうでない文化人はあまり多くないし、正直、こうした点においてはGoogle+はまだまだだと思っていた。もっと世界の著名人を引き入れてフォローできるようにしなきゃアカウントは増えないぞ、そう思っていた。
ところが、奴らはとんでもない人間を連れてきてしまった。ダライ・ラマとツツ大司教。一体全体、誰が「Google+でダライ・ラマのコメントをフォローできる」時代がやってくるなんて想像したろうか。これにはザッカーバーグもひっくり返ったろう。Google+は、まったく違うところを見ていたのだ。
時として僕らは、知らずに物事を人気投票で決めてしまっている所がある。iPhoneはauとSBとどっちがいいか。どっちが安いか、どっちがどれだけ早いか。Facebookにはどんな有名人がいるのか、Google+はどうなのか。そうやって「数」とか「人気」とか「値段」とか、そういったわかりやすい、ものすごく下世話な一つの基準で物事の善し悪しを判断してしまう。
だが、それがすべてなわけじゃない。世の中にはさまざまな物差しがある。どの物差しを使うかによって物事の見方はまるっきり変わる。
Google+はFacebookに勝つか。――そもそも「勝つ」って何だ? どっちの利用者が多いか、どっちの収益が上か、そんなもので僕らは両者の勝ち負けをはかろうとしていたんじゃないか。だが、そもそも両者は目的も目指すものも違うはずだ。そこのところを僕らは考えていたろうか。
「Google+の目指すところは、IT技術による世界平和の実現です」
――もし、こんなことをラリー・ページがいったりしてたら、「なんだこの大法螺吹きは」と誰しも思ったに違いない。だが、今日、お二方のライブチャットを見ていて、ひょっとしたらGoogleの連中は、そういうことを本気で考えていたりするのかも知れないな、と思ってしまった。うん、ありえないよそんなのは。どこの世界に「会社の営業目標は世界平和の実現」なんてところがある? 逆ならわかる。「世界征服」ならあってもいい。
だが、Googleは世界を等しくつなぐことで、どのような権力も奪うことのできない力を世界中の人々に与えつつある。「アラブの春」はその象徴だろう。世界中の、権力で国民を押さえつけているところは、みんななんとかしてインターネットから庶民を切り離そうと躍起になっている。
インターネットというものを世界の人々を救う武器に。それはありえない話ではないのかも知れない。中国の若者がGoogle+でダライ・ラマをフォローできる時代が来たりしたら、これは、ものすごいことじゃないだろうか。国家や政府を人は超えることができるとしたら。
僕は今、密かに期待していることがある。まぁ、絶対に有り得ないだろうけど。もし、もしもだよ。Google+に、ローマ法王がアカウントを取得したら……。イスラム、仏教、世界の主な宗教、宗派の指導者がGoogle+のアカウントを取り、お互いにHangoutし話したりできる時代がやってきたら。世界の主要国の指導者が、世界中の人々が見ている中、ビデオチャットで会議できたら。お互いの発言を共有し合い、コメントし合う、それを世界中の人間がフォローできるとしたら。なにか、世界は変わるんじゃないか、良い方向へと歩み始めるんじゃないか……という期待を抱けないか? もちろん何も変わらないかも知れない、だけど何か可能性を感じないか?
僕のサークルの中には、ダライ・ラマとツツ大司教がいる。特にツツ大司教はなかなか気に入ったようで、既にいくつも投稿をしている。こんな人物をフォローできる時代が来るとは思わなかった。本当に。そして彼らも、何のメディアも通さず、直接に世界に向けて発信できる窓口をこんなに簡単に持てるとは思わなかったんじゃないだろうか。彼らはいつでも自分の思いを発信できる。一言書けば、おそらくは何万何十万といるフォロワーによって数十分で世界中に広まることだろう。ジョブスが亡くなったときのGoogle+のストリームを僕はよく覚えている。わずか数分の間に、僕のストリームはジョブス一色となった。どこかでその発表があって5分後にはGoogle+にアクセスしていた世界中の人間がそのことを知っていた。この力を、知恵以外に何の力も持たない賢者が使えるとしたら、それは大きな武器となる。
今日、Google+は、大きな一歩を踏み出した。そう思う。Facebook? 小さい小さい。そんなちっぽけなソーシャルネットワークの雄なんて目指してないぜ。Google+が目指すのは「世界平和」だ。どうだ、TwitterにFacebook。ついてこれまい。そうほくそ笑んでるラリー・ページの顔が目に浮かばないか? 数で勝つんじゃない。その技術が世界に暮らす末端の人々をも幸せにできるか?だ。もし本当にそれができたら、その技術こそ本物だ。
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