僕がブラック労働者だった頃

ワタミの社長(失礼、元社長?)がぎりぎり当選して、「ワタミとブラック」が何かと話題となってる。僕個人はブラック企業というものの存在は許すべきではないと思うし、ワタミがそうなのかどうかはわからないけれど、異常な労働というのはあってはならないと思う。

ただ、世の中、時には「長時間労働か、重労働か」といったことなんてすっ飛ばして「とにかく働かせろ」というような状況に出くわすこともあるんだよね。

僕がライターとして独立する前の頃。月曜の朝9時から翌日の朝9時まで新宿で警備員の24時間勤務をして、そのまま秋葉原に移動して10時から夜8時までショップでバイト、なんてことを平気でやっていた。そうやって「月曜の朝に出て火曜の夜に帰る」「水曜の朝に出て木曜の夜に帰る」「金曜の朝に出て土曜の夜に帰る」と繰り返し、日曜は日曜で一日中雑誌の原稿を書く、といった仕事を繰り返してた。

果たして1日何時間労働になるのかわからない働き方で、掛け持ちバイトだからそれぞれの仕事先はまったくブラックではないのだけど、「自分から率先してブラックな生活に入り込んでた」わけで。そして1年ほどで200万の独立資金をため、フリーのライターとして独立したのだった。

独立した当初も、2日や3日の徹夜は当たり前、締め切り前は飯食う時間もない、なんてのが普通だった。別にそれを重労働と思ったこともないし、逆に「もっと仕事をさせろ!」と思ってた。とにかく仕事がしたかった。

つまりは「長時間労働だからブラックか?」というと、それは違うんじゃないかと思うのだよね。それより、例えば9時から5時までで残業もなく休みもきちんとあっても、「追い出し部屋」なぞを用意してる企業の方がブラックなのかも知れない。

ブラックというのは、従業員を精神的肉体的に追い詰めていくような労働を強いる企業ということなのだろうと思う。そしてそれは「○○時間以上の残業」とかいうような数値で測れるようなものではない。ブラック企業について何らかの公的な対策というのは必要と思うけれど、ここのところをしっかりとおさえないと見当違いな規制を招くことになりかねない。

渡邉美樹氏が、「中小企業やベンチャー企業の育成を大きく邪魔することになる」といってたけど、これはそうした点をいっているのだろうと思う。であるならばその発言の意は理解できる(別に彼の発言を正当化する意味ではないよ)。杓子定規な「ブラックの規定」によって企業を縛るのは逆効果となるかも知れない、ということを考えないといけないと思うのだ。「ブラックとはなにか?」という本質部分の議論を抜きに「企業のブラック・レッテル貼り」ばかりが先行する、それは正しいあり方とは思えないのだ。

ブラックとは何なのか。それはどのように定義できるものか。――例えば、こういう定義はどうだろう。「働くものの人生を豊かにしない労働」だ。「働くものの人生を不幸なものにする労働」と言い換えてもいい。ひどく主観的だ、って? それじゃ数値的に測れない、って? そうだ。労働というのは、数値では測れないものじゃないのか? そもそも「人生の幸せ」が数値では測れないのと同じに。


ブラック企業で思い出すのは、20年ほど前、マックが登場する前夜のアップルだ。社員の記念写真が雑誌に載っていたのだけど、彼らは皆、揃いのTシャツを着て満面の笑みで写ってた。そのTシャツにはこう書かれてた。――「1日16時間働いてしかも働くのが好き!」

もし、当時のアップルに「ブラック企業」のレッテルが貼られ、業務改善命令が出ていたら、ひょっとしたら今日のアップルはなかったかもしれない。彼らが、「誰にも邪魔されることなく、いくらでも働くことができた」ことを本当に幸いに思う。彼らは皆、恐ろしく長時間の重労働に従事していた。そして彼らは、おそらくは「この上なく幸せ」だったのだ。

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