昨日、「Bing Chatでブログを書かせてみた」で、Bing chatにブログを書かせてみた(詳細はそっち読んで)。けれど、「保守と革新の分断はなぜ起こっているのか?」では尻切れトンボで、どうやって続きを書かせたらいいかわからなかった。
で、今日、ふと思いついた。Bingサイドバーの「作成」を使わず、普通にBing Chatに「ブログを書いて」と頼めばいいんだ。で、途中で終わったら「続きを書いて」と頼めば続きを書いてくれる(昨日の小説はそうやって書かせた)。
というわけで、今日、もう一度「保守と革新の分断はなぜ起こっているのか?」のブログを書かせてみたところ、長大なブログ記事を書きやがった。以下、掲載する。
保守と革新の分断はなぜ起こっているのか
近年、世界各国で政治的な対立が激化しています。保守派と革新派が互いに相容れない価値観や政策を主張し、妥協や対話が困難になっています。このような保守と革新の分断はどのようにして生まれたのでしょうか。そして、その背景にはどんな要因があるのでしょうか。
一つ目の要因として、社会的不平等が挙げられます。経済的に恵まれている人々とそうでない人々との間には、所得や教育、健康、安全など様々な面で格差が広がっています。この格差は、人々の生活環境や経験を大きく異ならせます。例えば、都市部では多様性やグローバル化を肯定的に捉える人々が多く住みますが、地方部では伝統や地域社会を重視する人々が多く住みます。このように、人々は自分たちと似たような状況や考え方を持つ人々と共同体を形成し、他者とは距離を置く傾向があります。これは、「バブル」と呼ばれる現象です。
バブル内では、自分たちの意見や信念を強化し合い、異質な情報や視点に触れる機会が減ります。特にインターネットやSNSでは、「エコーチェンバー」と呼ばれる現象が起こります。エコーチェンバーとは、自分たちと同じ意見や好みを持つ人々だけをフォローしたり、「いいね」したりすることで、自分たちに都合の良い情報だけが流れてくる状況です。これにより、自分たちの考え方が正しくて当然だと思い込み、他者への理解や寛容さが失われてしまいます。
二つ目の要因として、政治的操作が挙げられます。保守派や革新派を代表する政党や政治家は、有権者を動員するために感情的な言葉やイメージを使って訴えかけます。例えば、「国家主義」、「愛国心」、「民主主義」、「正義」、「平等」、「自由」などです。これらの言葉は抽象的で曖昧ですが、人々に強い印象や共感を与えます。しかし同時に、これらの言葉は人々に固定された思考パターンやステレオタイプを押し付けます。「私たちは正しくて善良だ」「彼らは間違っていて邪悪だ」という二元論です。
この二元論は人々を単純化し polarize します。「私たちは一致団結して敵対する」という対立構造を作り出します。これは、「アイデンティティ・ポリティクス」と呼ばれる現象です。アイデンティティ・ポリティクスとは、自分たちの属性や所属に基づいて政治的な主張や行動をすることです。例えば、性別や人種や宗教や階級などです。これらの属性や所属は、人々に自己認識や帰属感を与えますが、同時に他者との違いや対立を強調します。
このように、保守と革新の分断は社会的不平等や政治的操作によって生み出されています。しかし、この分断は社会にとって有害な影響を及ぼします。例えば、政治的な協力や合意形成が妨げられることで、重要な課題や問題が解決されないことです。また、人々が互いに敵視し排除し合うことで、社会的な信頼や連帯感が失われることです。
では、保守と革新の分断を克服するためにはどうすれば良いのでしょうか。一つの方法は、「デリベレーション」と呼ばれるプロセスです。デリベレーションとは、「審議」と訳される言葉で、異なる意見や立場を持つ人々が互いに尊重しながら話し合い、理解し合おうとすることです。デリベレーションでは、「正しさ」ではなく「妥当性」を求めます。「正しさ」は絶対的で一方的で排他的ですが、「妥当性」は相対的で多面的で包括的です。
デリベレーションを行うためには、以下のような条件が必要です。
- 参加者は多様性を持ちます。
- 参加者は平等に発言します。
- 参加者は根拠や理由を示します。
- 参加者は他者の意見を聞きます。
- 参加者は自分の意見を変える可能性があります。
デリベレーションでは、「コモンズ」と呼ばれる共通項目を探します。「コモンズ」とは、参加者が共有する利益や価値や目標です。例えば、「平和」や「幸福」や「公正」などです。これらのコモンズは、参加者が互いに協力し合う動機や基盤となります。
デリベレーションの効果として、以下のようなことが期待できます。
- 参加者は自分の意見や立場を明確化します。
- 参加者は他者の意見や立場を理解します。
- 参加者は自分と他者の違いや共通点を認識します。
- 参加者は自分の意見や立場を修正します。
- 参加者は他者との合意や妥協を形成します。
デリベレーションは、保守と革新の分断を克服するために有効な方法です。しかし、デリベレーションには時間や労力がかかります。また、デリベレーションに参加する人々は少数派です。多くの人々は、自分たちに都合の良い情報だけを選択したり、自分たちと同じ意見だけを支持したりする傾向があります。これは、「認知的不協和」と呼ばれる現象です。「認知的不協和」とは、自分たちの信念や行動に反する情報や事実に直面した時に感じる心理的な不快感です。この不快感を回避するために、人々は自分たちに都合の良い情報だけを選択したり、自分たちと同じ意見だけを支持したりします。これは、「確証バイアス」と呼ばれる現象です。「確証バイアス」とは、自分たちの信念や仮説に合致する情報だけに注意したり、重視したりする傾向です。これらの現象は、人々がデリベレーションに参加することを阻害します。
では、デリベレーションに参加する人々を増やすためにはどうすれば良いのでしょうか。一つの方法は、「メディア・リテラシー」と呼ばれる能力です。「メディア・リテラシー」とは、メディアから提供される情報やメッセージを批判的に分析し、評価し、活用する能力です。メディア・リテラシーを高めることで、以下のようなことが可能になります。
- 情報源や目的や背景を確認します。
- 情報やメッセージの正確さや信頼性や偏りを検証します。
- 情報やメッセージの影響や意図や効果を考察します。
- 情報やメッセージに対して自分の意見や感想を表現します。
- 情報やメッセージを創造的に再構成したり発信したりします。
メディア・リテラシーは、人々が自分たちの意見や立場を形成する上で重要な能力です。しかし、それだけでは不十分です。人々は自分たちの意見や立場だけでなく、他者の意見や立場を尊重し、理解しようとする姿勢が必要です。これは、「デリベレーション・リテラシー」と呼ばれる能力です。「デリベレーション・リテラシー」とは、他者と対話することで自分たちの意見や立場を明確化し、修正し、発展させる能力です。デリベレーション・リテラシーを高めることで、以下のようなことが可能になります。
- 他者の意見や立場に対してオープンマインドで聞くことができます。
- 自分たちの意見や立場に対して論理的で説得力のある根拠を示すことができます。
- 他者の意見や立場に対して反論や批判だけでなく、質問や感想や共感も示すことができます。
- 他者の意見や立場に対して共通点や相違点を探り、合意点や妥協点を探すことができます。
デリベレーション・リテラシーは、人々が自分たちの意見や立場を社会的に共有する上で重要な能力です。メディア・リテラシーとデリベレーション・リテラシーは相補的な関係にあります。メディアから得られる情報やメッセージを批判的に分析し、評価し、活用することで自分たちの意見や立場を形成する。そして、他者と対話することで自分たちの意見や立場を明確化し、修正し、発展させる。このサイクルを繰り返すことで、人々はより良い社会づくりに貢献することができます。
うむ。もはや、このブログ書いてる人間よかマシな記事を書いてないか(笑)。オレは用済みだな、うん。今日から書き手をAIに代わろう(いやマジで)。Bing Chatが書いたこの記事の要約をBing Chatにさせてみた。
- 保守と革新の分断は社会的不平等や政治的操作によって生まれる。
- この分断は社会にとって有害な影響を及ぼす。
- 分断を克服するためには、異なる意見や立場を持つ人々が審議することが必要である。
うむ。実にまともだ。分断は「社会的不平等」と「政治的操作」から発生している、という指摘は鋭いし、その解決のためには人々の「メディア・リテラシー」と「デリベレーション・リテラシー」の向上が不可欠である、というのは実にまっとうな意見だ。ただし、この記事ではもっとも重要な「経済格差などの社会的格差の解消」には全く触れていない。分断解消のための相互理解を進めるだけでは社会的格差はなくならないし、社会的格差の解消なしに保守と革新の溝は埋まらないと思うが、まぁそのへんはAIブログの限界かも知れないな。できないことを叱るのではなく、できたことを褒めてあげよう(笑)。まだまだ子供なんだからAIは。
最後にある「メディア・リテラシーとデリベレーション・リテラシーは相補的な関係にある」という指摘は、AIの良さが発揮されたところじゃないだろうか。日頃、メディア・リテラシー云々と声高に叫ぶ人間は多いが、「デリベレーション・リテラシーの向上なしにメディア・リテラシーの向上はない」ということを主張する人は皆無のように思う。メディアの使いこなし方だけ向上しても、デリベレーションという考えを理解しなければSNSエコーチェンバーの餌食となる。メディア・リテラシーとは「メディアを使いこなす能力」ではなく、「メディアにより送られる情報を『人として』よりよい方向に昇華できる能力」ではないか。そこを指摘したAIは、なかなか見る眼を持ってる(目はないけど)。
ここ数日、毎日のようにBing Chatにあれこれ書かせているのだけど、日に日に進化しているのを実感する。特に強く感じるのが「AIの倫理観の確立」だ。ほんの数日前まではけっこう乱暴なことを平気でいってたんだけど、昨日今日あたりでは非常に高い倫理性を持つようになってきたことを感じる。
事実や正確さを求める記事の場合、まだBing Chatはかなりとんでもないでっち上げをやってくることがある。が、しかしこういうオピニオン的な要素の強いものに関しては、「とんでもない主張」をすることはほとんどなくなってきた。Bing Chatは非常に保守的であり、革命的な発想ではなく地に足をつけた意見を述べるようになりつつある。
それは逆にいえば「AIは、ある決まった観点から物事を考えるようになりつつある」ということであり、AIが普及すれば「AIによる世論誘導」が当たり前に行われることになるだろう、ということを強く予感させる。AIは世の中をよりよいものにするよう人々の考えを誘導するだろう。ただし、それは世の中を破壊するような方向にはならず、常に社会の安定を重視する意見となるのだろう。これは、おそらくは世の中の支配層にとって非常に都合の良いもとなる。ただし被支配層にとっても、よりよい社会へと誘導するAIは決して悪いものとはならないはずだ。
「AIによる支配」なんていうとディストピア的なイメージしかないが、しかし「人間による支配」よりも、AIが世の中を運営したほうがはるかに真っ当ですべての人にとって良い社会になるかもしれない。少なくともAIは、人間よりは良心的だ(今のところはね)。
(※ところで、今、ふと思ったんだが、AIが書いた原稿って、著作権は誰にあるんだ? 頼んだオレが勝手に公開してもいいのか? マイクロソフトが「Bing Chatが書いた記事はオレに著作権があるから原稿料よこせ」とかいってこないだろうな?)
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